読書中:柳治男、『〈学級〉の歴史学』

 前半部分(〜第4章)読了。問題設定とイギリス19世紀教育史の部分。興味深い内容だったので、簡単に内容を紹介する。
 本書の前半部分で筆者は、ベル=ランカスター方式*1+ギャラリー方式*2としての「学級」の誕生と、それが民衆の間での学校のあり方を排除しながら、「国家の学校」のシステム(イギリスでは1870年頃に義務教育が制度としては確立される)として公認されていくプロセスを追いながら、二つの「教師-生徒関係」が併存する制度として「学級」をとらえようとしている。すなわち、ベル=ランカスター方式が先鞭をつけた、徹底的に人格性を廃した(いわばマクドナルド式の)「システムとしての学校」の中での「教師-生徒関係」と、個人対個人の人格的な結合形式としての「教師-生徒関係」と。
 前者はM.フーコーのいう「ディシプリン権力」に対応し、後者は「司牧権力」に対応する。興味深いのは、両者の関係を歴史の流れの中で統一的に理解しようという筆者の試み。すなわち、「学級」システムの強制・普及につれて、民衆の抵抗とシステムの作動原理の空洞化によりその基盤が掘り崩されるのに対応して、いわば補完的に、個々の生徒の内面に分け入って、時には温情主義的に、人格的に彼/彼女らを学校システムの中へ統合しようとする権力のあり方として司牧権力型の「教師-生徒関係」が登場してきたのだ、と説明する。
 いわゆる進歩主義的教育思想・運動、「子ども中心主義」教育なども、システム化し、無機化した「学級」を、より完成されたものへ導くためのものであり、それ以前の近代教育制度と対立するものというよりも、近代教育システムが登場し、完成に至る道のりの中で、統一的に両者を位置づけるという視点でとらえられているといえる。日本における進歩主義的教育思想・運動といえば、大正期の「自由教育」または「新教育」だが、通常これはそれ以前の「旧教育」とは対立するものとしてとらえられる。だが筆者の視点からすると、両者はむしろ相補的なものとして位置づけられる(後者は前者を前提としつつ、それを補完する)、ということになるのだろうか。(→付記(2))

<学級>の歴史学 (講談社選書メチエ)

<学級>の歴史学 (講談社選書メチエ)

(目次)

 はじめに

 第一章 「学級」を疑う
  1.パックツアーと学級は似ているか
  2.日本固有の学級制

 第二章 「クラス」の誕生と分業される教師
  1.抹殺された学校――モニトリアル・システム
  2.分業化で限界に達した教場

 第三章 義務教育制度の実現
  1.一斉教授方式の導入
  2.国家介入による学級制の完成
  3.排除された零細経営の私設学校

 第四章 学校組織の矛盾
  1.供給先行型組織としての学校のシステム化
  2.司牧権力者としての教師

 第五章 日本の学校はいかに機能したか
  1.日本型司牧官僚制の成立と学級
  2.見える学校と見えない学校

 第六章 学校病理の解明
  1.「重たい学級」がもたらすもの
  2.無力化される児童・生徒
  3.ダブルバインドの世界に生きるということ

 終章 変わる学級制――共同体幻想からの脱却

 むすび

 参考文献

 索引

 ベル=ランカスター方式は、フーコーの『監獄の誕生』でも触れられている。今手元にないのだが、1989年に提出した卒業論文の中でもこれをとりあげた覚えがある。さらにランカスターの学校論については、1991年に中内敏夫教授の大学院ゼミで扱った記憶がある。
 ベル=ランカスター方式とディシプリン権力の関係については、これまでもかなり論じられてきたと思うが、19世紀後半から20世紀初頭の教育思想の流れに位置づけてとらえるという試みはあまりなかったかもしれないが、どうだろう。
 たとえば『フーコーと教育』(S.J.ボール、勁草書房)ではどうだったか。これも今手元にないので参照できないが。

フーコーと教育―「知=権力」の解読

フーコーと教育―「知=権力」の解読

 なお、ちらちら後半部分をながめてみると、前半ほど詳細には日本の教育史について検討されていない様子で、そこはちと残念。(ページ数でだいたい見当はついていたが。)

 続きは以下で。

■付記(1)

 トラックバックのおかげで今(2005-04-28)になって来訪者が増えているが、ヨーロッパにおける「学級」の起源の研究としてPh. アリエスを落とすことはできないので念のため。

〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活

〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活

■付記(2)

 ちなみに、日本における「新」「旧」の教育システム(明治以来の学校制度と大正期のいわゆる「新教育」運動)を、単純に対立させてとらえるのではなく、「階層」に注目してとらえなおしたのが、中内敏夫「新学校史の社会過程」である。(著作集第2巻に収録)
 中内はそれまでの通説で、大正デモクラシーとの関連でとらえられていた「大正自由教育」を、それを支持した特定の社会階層=新中間層(ホワイトカラー、公務員、自由業等)との連関で把握しようとした。言ってみれば、(狭義の)「政治」との関連で把握されていた教育を、社会・経済との連関の中に置き直したということである。
 この自由教育で行われてきたことは、柳の著書ではあまり触れられていないが、より児童・生徒を個人として把握し、教育の経験科学の形成につながるようなデータの蓄積までも行なうような志向を持っていた。(柳の著書では、1930年代の「生活綴方運動」に力点が置かれている。)子どもをその「個性」においてとらえようとする傾向が強かったということである。また同時に、教師の子どもに対する「愛情」も重視された。本書でいわれている「司牧権力」の行使に近い内容を持つ。
 これらは新中間層の家族の編成原理にも見られる特性であり、同階層の再生産戦略の一環であると位置づけられる。……と、ここまで持ってくると、今度はわたしの修士論文(刊行論文としては『社会学評論』の「新中間層の再生産戦略」)になる。まあここまでくると、本書の内容からだいぶ離れてしまうのだけど。

*1:助教monitorを導入することで、多人数に対して初等レベルの斉一教育を可能にする学校システム。19世紀初頭のイギリスおよびイギリス植民地で採用されたもの。

*2:教師と生徒が階段教室で向かい合う教室システム。19世紀前半のイギリス幼児教育で開発された。