FFXとか

 えー、いちおう「ファンタジー評論家」なもんで(嘘)、ファンタジー系のゲームも「どんなものか」は試してみることにしています(「人がプレイしているのを見ている」も含む)。ということで、今年の夏はかなり遅れましたが、「ファイナル・ファンタジーX」をプレイしてみました。というかPS2がこれまで自宅になかったのでここまで遅れたというか。
 なんというか、ムービーシーンを戦闘でつないだという印象がすごくします。もっともゲームバランスはよく、ゲーム内チュートリアルも充実しているので、初心者にやさしいとっつきのよいものになっているとは思いますが。マニアックな向きには、アイテム集め・改造・モンスター制覇などの工夫がいろいろされているので、そっちで楽しんでね、ということでしょう。
 ネットでいろいろ見ていると、プレイ50時間とか70時間とかでラスボス倒したという方もいますので、わたしの初回73時間はそんなに極端に長くはないようです。起動したままお風呂入ったり、ごはん作って食べたり、寝たり(えー)してましたし。たぶん正味で65時間ぐらい。
 でもって、2回目で50時間弱。ザナルカンドでユウナレスカを倒したあとゆっくりAP稼ぎとかしてましたが、ある時点で限りなくめんどくさくなって、一気にラスポスまでつっぱしりました。(爆)途中のザコとの戦闘はティーダの「とんずら」でほとんど回避しまくったという。(←邪道)「七曜の武器」なんて全然ゲットしてません。

 このゲーム、物語の「語られ方」がちょっとおもしろいな、と思いました。オープニングで、キャンプ中のシーンにかぶさって「これが最後かも知れないだろ。だから、全部話しておきたいんだ。」という台詞が流れて、なんのこっちゃと思ったのですが、ゲーム中の一つの山場である、ザナルカンド遺跡入口付近のムービーシーンとつながっているのですね。その時点からふりかえってゲームの各場面が物語として「語られる」という仕組みになっています。こういうのって、実際に音声で声優によってストーリーが「語られる」というPS2ならではのものなのかも知れません。(いや、そうじゃないのかもしれませんけど。)
 物語の内容としては、中心は父親と息子のお話なので、「なんだかなー」と思ってしまったのですが(DQシリーズがそういうところありますよね、IIIとかVとか)、ザナルカンドの遺跡(エボン・ドーム)の中でユウナが「わたしにとってはわたしの物語なんだよ」と「主人公」のティーダ(男の子)に口を差しはさむシーンがありました。このあたりはなんだかメジャーなゲームが常に「男の子の物語」として語られるのに対するある種の「抵抗」、あるいは「物語の読みかえの可能性」が存在することを自ら示唆しているようなところがあって、興味を引かれました。

 ところで、主人公のティーダ琉球語「太陽」のことですね。(「てぃだ」という夏川りみさんのアルバムについて、先の日記でふれたとおり。)いや別に、それが書きたくてFFXの話をここまでひっぱったわけじゃないのですが。
 ということで、彼の七曜の武器は「日輪」なわけです。なるほど。