『物は言いよう』の一節


では、母親はなぜ料理を簡略化するのか。
という『世界』連載のコラムの中の言葉を引っぱってきて、家事責任が女性=母親=妻にあるのが前提になっていることを批判するくだり。(80〜84ページ)
 ここを読んでいて思い出したのは、2年ほど前の1年生ゼミ(教養演習)でのこと。この年は「食の歴史社会学」をテーマにしていたのだが*1、ある日、どういう文脈でか忘れたが、「無洗米の普及」について賛否両論が分かれた。
 ある学生は「それは手抜きでしょう」というし、別な学生は「いや、女性が社会進出する世の中ではそれも必要だ」と主張した。
 が。
 もうここまで書けばわかると思うけど、両者共に同じ前提を持っているわけだ。「家事は女性の仕事」という。
 双方の意見を聞きながら、ひそかに「でもうちでも使ってるよな、無洗米(笑)」と思ってたのだが、きちんと言うべきだったね。
 ……と、思い出してみたりすれど、深夜に一人。

*1:あまりうまく運営できなかった。ほんと、すいません。でも、その時の反省も、今の2年生ゼミの設計につながってます。