読了:D・キムラ、『女の能力 男の能力』
- 作者: ドリーンキムラ,Doreen Kimura,野島久雄,鈴木真理子,三宅真季子
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 2001/06/01
- メディア: 単行本
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「女と男で生物学的な差はあるんだよ」という本。アン・ファウスト=スターリングなどが批判のやり玉に挙がっている。
まあ「ない」というほうがおかしいわけだけど、加藤秀一が言うように(『性現象論』)、「男と女に差はある。ありますが、何か?」ということであろう。身体的・生理的な性差に対してどのような価値を付与するのか、それは「生物学的」ではあり得ない。『心脳問題』風に敷衍するなら、カテゴリー・ミステイクをおかさない、それが重要だということだ。
気になったことをメモしておく。
- 男性と女性の能力を比較しながら、ホモセクシュアル男性の能力を別に測定している項目がある(第4章の運動スキル)。では、ホモセクシュアルの女性はどうなのか。ヘテロの女性と差がないということか。(なのかも。)あるいはバイセクシュアルは? データが取れていないだけかも知れない。別にこれをもって彼女の研究の意味がなくなるというわけではないだろうが。
- ロジックとして一つ頻出するのは、「狩猟採集経済の時代からの性別分業によって、今日観察されるような生物学的性差につながるような資質が男女それぞれに残るような淘汰の過程が生み出された」というもの。分業というのは社会的なものだが、そうすると社会的な男女のあり方が身体化したととらえているということか。(卵が先か鶏が先かみたいな話になるのでしょうか。)もちろん、もっと別な問題構成になっている箇所もあります。(ホルモンの話とか。)
- 文化的・社会的要因がからまざるをえないところで、無理に生物学的な問題へつなげようとしているところもいくつか。研究者の論文数の性別差など。もっと地道なところで議論してほしい。