下流社会:東京新聞の記事から
http://d.hatena.ne.jp/june_t/20051208/p1 のちょっくら続き。
東京新聞「特報:自閉する若者…『下流社会』の行方は――向上心なき『自分らしさ』」。
via http://d.hatena.ne.jp/boilednepenthes/20051223/p1
「下流」とは、生活に困る「下層」ではなく、上へ行こうという意欲が低い人、つまり、働く意欲、学ぶ意欲、金持ちになりたいという意欲も低ければ、コミュニケーション能力も低い、同氏いわく「人生への意欲が低い」人を指す。当然、所得も低く、結婚できない可能性もある。一方で団塊世代が持つような「自分らしさ」にこだわり、「下流」生活に必ずしも不満を感じていない。
先日のエントリでは↑こういう基本的なところは全部スルーしてしまいましたので、念のためにコピっておきます。
強烈な印象を与えるこの言葉は、三浦氏の造語だ。
「思いついたのは、今年の六月末。いまいちピンとこなかったのが、『下流』を思いついてからは、一気にまとまった。『ダラダラした若者をしかってもいいんだ』と思うと、ちょっと筆が滑ってしまったが」
「ちょっと」ですか。(笑)
たぶん「ダラダラした若者」とかがきらいなんだろうな、と思ったので、こないだのエントリではその「きらいだ」という時の言い方にインネンをつけてみたわけです。つーか、マーケ本ならこんなこといわなくていいわけだし。
ところで、山田昌弘先生のコメントがいいとこついています。
「希望格差社会」などの著書がある東京学芸大学の山田昌弘教授(社会学)は、「自分の子供が下流に転落してしまうのではないかと恐れている中流の親か、自分はこれよりはマシだと確認したい人たち。本当の下流の人は新書など読まないでしょう」と辛辣(しんらつ)に言い放つ。
誰にウケているのか、というところですね。
次は香山リカさん。
精神科医で帝塚山学院大学教授の香山リカ氏は、大学の講義の中でこの質問を学生たちにしたという。
「こういう質問に学生たちがどう反応するかを見たかった」ためだが、意外だったのは「下流」に当てはまった学生の反応だった。
「ショックを受けたり、憤慨することはない。『私も流行の先端を行っている』という感覚なのか、喜ぶ学生もいた。しかし下流と言われて反感を持たない抵抗力のなさこそが問題で、それが下流化をさらに促進している」
まあ、いろんな「占い」や「ナントカ度チェック」で慣れてますから、ええ。
けっこういい記事かなと思いました。著者の本音を引き出して、的確なコメントをつけて。
■なんとなく
「下流が増えて、何が悪いか!」と赤川学さん的に誰がほえてくれないでしょうかと思うこの頃です。(笑)
というか、こういう結果を見ると、マーケの人は「下流が増える」ことを所与として、企業に提言したり、新しい企画たてたりすると思いますけどね。それが第1章の中身なわけで。
「叱ってもいい」とか三浦さんはおっしゃいますが、マーケは「売れればいい」*1ので、別に「叱らなくてもいい」はずなんだけど、そこでなんで「叱る」んでしょうか。わたしが「いやだな」と思う最大のポイントがここです。
ついでにいうと、boilednepenthesさんのエントリへのコメントで書いたように、こういうもの言いに賛同しちゃうってのは、結局経済を実際引っぱっていくのは自分たちのような「上流」だという認識(正しいわけだけど)や自負心のせいであり、同時に、「下流」を「叱る」「くさす」ことによって自分の優位性をきわだたせたいという戦略の一部になってるのかなと感じたりもします。(※これは三浦さんのことじゃなくて、賛同しちゃう読み手のほうについて――ちょっと書き直しています。)
なお、三浦本の冒頭にある「下流度チェック」――香山さんが学生にやらせたもの――をやると、わたしは見事にほとんどあてはまります。(笑)
*1:というか、まず「売れないとダメ」。