性被害者へのバッシング
ちょっと信じられない記事をとあるブログで見つけた。
女子高校生の性被害を「男女混合名簿」をはじめとする「ジェンダー教育」*1に起因するものとし、「男と女は平等だ」というような感覚がこうした事態を招いた、という、論理のつながりもなければ実証もない、ないないづくしの記事*2なのだが、こうした記事を読んで、当初ほとんどそうした欠陥を指摘するコメントがなかったのもこわい。ブログを頻繁に読みに行くような支持者(このブログの書き手は市議だそうで)であればなおのこと、不用意な発言に対してはそれとなくでも指摘するものではないだろうか。
さらにこわいのは、この記事で「性被害にあったのは本人たちが悪い」という、victim blaming(被害者への非難)の論法が使われていることだ。これは特に、女性の性被害がらみで出てきやすい。レイプしかり、セクシュアル・ハラスメントしかり、である。
これは一般の言説内にみられるだけでなく、科学的な論証の手続きを取ることに慣れている者の手によっても行われる。たとえば、2001年6月6日に朝日新聞福島版に載ったコラムでも、精神科医が、近年増加している10代の女性のSTD感染について、性交経験の低年齢化についての女性のデータと、彼女たちが複数の異性と性関係を持つ傾向をあげて論じていた。彼女たちがSTD感染するのはおそらく異性との性関係においてであろうが、男性の側がセイファー・セックスをしない、または知識を持たないことについては一切触れられていない。性関係は当然複数の人間の間でもたれるもので、さらに現在異性愛関係が多くを占めているにもかかわらず、「女性の間でSTD感染が増加していること」を単純に「女性のみの問題」として切り出してしまっているのだ。(あまつさえこのコラムでは、引き続いて、「若い男性にとって性非行は1つの通過儀礼的な意味しか持たず」、心理的外傷を受けることは少ないが、「女性はいったん性非行に走ると」、生活が乱れ、その他の非行や犯罪につながったり、金銭収入を伴うので職業化してしまう、とまで書かれていた。なんだと。)
victim blamingは被害者に対する二次被害をひきおこす。さらに、このコラムのように、問題の核心を見失わせるというマイナスの効果も持つ。
なお最初にあげたブログ記事については、こちらでもたんねんに批判されているので、ご参考に。*3
■追記
「反論」だとか。コメント欄で早くも指摘されているとおり、すべての論点がスルー。被害者バッシングについては、「被害者だけを責めているのではない」と開き直り。うーん。(いや、これはこれで巧妙なのかも……。(笑))