またやっちまった山本さん

 新しいタグでお届けします。
 なぜかわたしのいくつかあるメールアドレスの一つに、ときどき世界日報社から記事が送りつけられます。サービスのいいこと。
 昨日届いたメールにあった記事はこんなのでした。

【メディアウォッチ―テレビ】
都教委による上野千鶴子東大教授の講演中止措置への質問状を報じたNHKの不見識

 内容が難しくてよくわからないのですが、NHKの報道への批判のようです。「NHKにはジェンダーフリー・シンパが多い」とかなんとか。
 さて。

 毎日記事によると、上野教授は「私はむしろジェンダー・フリーの用語を使うことは避けている。都の委託拒否は見識不足だ」と批判しているというのだ。笑止千万の戯言である。
 上野氏は、対談集『ラディカルに語れば…』(平凡社)で大沢真理氏と対談し、彼女が男女共同参画行政にジェンダーフリーの視点を盛り込んだことを称賛。大沢氏が主導した男女共同参画ビジョンは「ジェンダーの解消をめざす私たちにとっては願ってもない歓迎すべきゴール」と述べている。
 ジェンダーフリーという用語を避けているかどうかではなく、目指している方向が同じである。
(中略)
 第一、上野氏は『ジェンダー・フリーは止まらない!』(松香堂書店、〇二年一月刊)という本の著者でもある。

 署名は「山本彰」。
 ワタクシ、ここにあがっている2冊の本は読んだことがないのですが。

ラディカルに語れば…―上野千鶴子対談集

ラディカルに語れば…―上野千鶴子対談集

 前者については、記事でも用語を使っているかどうかを問題にしているんではなく、方向性が一緒だということにこだわっているので、おいておきましょう。
 で、後者についてですが、検証なさった方がおいででした。

 上野氏の『ジェンダーフリーは止まらない』という本は未読だったので、アマゾンで取り寄せて読んでみました。内容としては、上野千鶴子氏と辛淑玉氏それぞれの講演と、両氏の対談を収録したもので、上野氏の言葉どおり、氏は「ジェンダーフリー」という用語を使っていませんでした。では何故「ジェンダーフリー」が書名になっているかといえば、上野・辛両氏の講演と対談が行われたのがNPO団体フィフティネットの設立集会「してはいけないジェンダーフリー?」においてだったからなのです。そして更に、その集会のタイトルは、長谷川三千子氏が産経新聞紙上に書いた「してはいけないジェンダーフリー」というフェミニズム・バッシングの文章を皮肉ってつけられたものでした。

 わざわざお取り寄せになって検証されるという、問題に対する真摯な態度には頭が下がります(マジで)。
 この検証結果を踏まえ、jimusiosakaさんは山本氏の記事を取り上げていた別なブログ(アンチフェミ系)について、「『ジェンダーフリーは止まらない』をお読みにならずに、書名から「サヨクお得意の二枚舌」と判断された」とお書きになっていますが、そもそも記事を書いたご本人についても同じことが言えそうです。


いやもちろん、jimusiosakaさんの検証が正しければ、ですけどね。

とか書きましたが、寺町みどりさんのブログ(コメント欄参照)によると上野さんも辛さんもこの言葉を使っていないそうです。主催者の側のみらしいですね。いちおう複数の人が確認しているということで。

 上野さんがこの本の中で「ジェンダー・フリー」という言葉をご自身では使ってなかったことを知っていて、書名だけで読者をミスディレクションしようとしたのか、それとも知らないで書いたのか。
 いずれにしても、「笑止千万」などと人を非難するにはちょっと、という態度ですね。(ワタクシも気をつけなければ。てゆーか、この本読んでないだろーっ!(笑))

 ということで、今日の合い言葉は、

 ま 〜 た や っ ち ま っ た よ

ということで一つ。

■付記

 というか、こんな低いレベルで批判されるような記事はもう書いてほしくないというのが正直なところ。『ジェンダー・フリー・トラブル』でも、自民党一部の家庭科教科書バッシングについて、教科書から記述の一部を切り取って、「こんなことを言ってる」と非難する手法が紹介されていたが、こういうことをする方たちには中学か高校ぐらいから国語の勉強をやりなおしていただきたいものだ。ある言葉や文の意味というのは、文脈の中に置かれて初めて正しく解釈されるものである。だからこそ思想史研究者は、あるテクストの片言隻句をとらえて、草稿や著者の出自、手紙や日記、時代背景などに至るまで詳細に調べてその含意を読みとろうとするのではないか。
 まあそこまでやれということではない。だがせめて、教科書の前後の記述の中できちんと意味を理解しようとするべきだし、自分が論拠にしようとしている本の中身については知っておくべきだろう。それだけのことである。