斎藤環『家族の痕跡』、読了
- 作者: 斎藤環
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2006/01
- メディア: 単行本
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まあ読んどこうか、という感じで読み始めたのだが、意外に(失礼)おもしろかった。ネットに掲載されているラカン入門などは文体で引いてしまうが、彼の議論そのものは以前から嫌いではない。
たしかに著書ではなんだかんだと難癖をつけた。そのポイントは、1)『戦闘美少女の精神分析』の枠組みは基本的には男性オタクを対象としている、2)その割りにはオタクのジェンダーがあまり意識されていないように思える(あくまでもこの本では、ということ)、3)アメリカのフェミニズムに関してよくある誤解をしている(というか通俗的な狭い解釈をしている)、という3点だったが、1)2)はほかの本まで視野に入れれば解消される点だし、3)は最近わたしも寛容になったので(←エラそう(笑))許容範囲だと思えるようになった。
まあ冗談はさておき、精神分析家、臨床家の立場から「引きこもり」と呼ばれる現象はどうとらえうるのかを述べた本書は、治療経験をバックグラウンドとしているせいもあり、十分説得的に議論が展開されているといえる。男性と女性のコミュニケーションのあり方の違いや、家族関係において母-息子関係と母-娘関係には微妙な違いがあること、また、精神医学における「家族」の扱われ方の変遷の概略など、示唆的な内容を含んでいる。彼もラカンの理論から多くのものを受け継いでおり、その意味ではときどき議論は「ワカラン」ようになるのだが、一般向けに書かれているせいか、「ワカラン」けどたぶんこういうことだろう、と理解した気分になれる範囲なのであまり心配はしなくていいだろう。(まあ「フェミニストが聞いたら卒倒する」などというようなもの言いは、斎藤美奈子のいうフェミコードに引っかかりそうだが。こういう表現こそ、出くわすと卒倒しそうになるんでは。(笑)*1)
個人的に一番面白かったのは、「ビフォーアフター」(テレビ朝日系列の番組)の話である。トルストイの『アンナ・カレーニナ』冒頭の「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。」(17回書き直したそうだが)*2を引きながら、それぞれに個性的な「ビフォー」な家屋が、どこか似かよった「アフター」の家屋に改造されていく様子を論じている。逆にいえば、トルストイのいう「不幸な家庭」*3とは「現実にそこにある家族」のことであり、「幸福な家庭」とは「人びとが欲望する家族」であるといえるのかも知れない。
つまり、「ビフォーアフター」とは当事者と「匠」と、そして視聴者とによって、あるいは斎藤の使っている概念を借りるなら、「世間」とによって欲望されている、ある意味一様な家族を、家屋の改造を通して具現化してしまう、という番組であるのかも知れないということだ。どちらかというとそれは、実体化してしまわない方がいい欲望だったのかも知れないけど。(なお、この節のオチはページをめくる前に見えてしまったので、あまりおもしろくなかった。)
あ、八木アンテナの発明者、じゃなかった(笑)、某憲法学者らしい人の唱えている「Y染色体」の批判も出てきたが、これはまあどうでもいい。というか、もともとの議論がどーでもいいレベルのものだということなんだけど。(爆)