Wikipediaの「フェミニズム」の項目
ところで改めてWikipediaの「フェミニズム」の項目を見なおしてみたけど、これは使えないわ。ヒドすぎ。
わたしはこういうところばっかり見てるので、きっとWikipediaを高く評価できないのだろうなと思う。*1
最初のほうだけ検討してみる。
フェミニズム(Feminism)は、男女同権主義に基づく女権拡張の思想と運動を意味することば。女性解放論、男女平等主義、婦人解放論と言い表されることもある。
いきなりだが、「男女同権主義に基づく」と全体をまとめるのはなんだか思い切りがよすぎるように思う。「女権拡張の思想と運動」というのもおかしい。権利だけをフェミニズムが問題にしてきたということはない。メアリ・ウルストンクラフトからしてそうだ。(岩瀬民可子、「『女性の権利の擁護』を読み直す」、江原由美子編『フェミニズムとリベラリズム』、勁草書房、などを参照。)これだとラディカル・フェミニズムの一部とか、文化主義フェミニズム、フレンチ・フェミニズムとか落ちちゃうでしょ。リベラル・フェミニズムの印象に引きずられすぎている。
あと、"Feminism"とFが大文字になってるのは、なんか意味があるんだろうか。
瀬地山さんがどっかで書いてたように、日本だとそういうふうに使うわけでもないようだけど。(笑)それはさておき。
目次(略)
フェミニズムの傾向
当初は主に欧米で運動がすすめられ、男女の法的権利の同等(女性が参政権を持つことなど)を求めていたが、それが実現された後、20世紀後半の運動において、文化における性差別(とフェミニストが考えるもの)の克服が取り込まれ、伝統的な女性概念による束縛からの「女性による人間解放主義」と定義された。近代特有の思想である。
うーん、なんだか違和感ありまくりなのだけど……。
「当初は主に欧米で運動がすすめられ」はいいだろう。「男女の法的権利の同等(女性が参政権を持つことなど)を求めていたが」というのは、いかにも高校の教科書っぽいまとめ。参政権は数ある権利主張の中の一つでしかない。19世紀アメリカの「所感の宣言」では、かなりすったもんだあったあげくに女性参政権の問題が加えられたともきく。(このあたり詳しくないので、どなたか正確なところをお願い。)むしろ、教育を受ける権利とかのウェイトが大きかったのでは。なおすでに述べたとおり、権利だけをフェミニストが問題にしてきたということもない。
「それが実現された後」というのが「欧米では」ということなら、次へ内容的につながる。
「20世紀後半の運動において、文化における性差別(とフェミニストが考えるもの)の克服が取り込まれ」というのは、初期のラディカル・フェミニズムが心理的・文化的・社会的な側面を問題化してきたことを指すのだろうか。まあ間違いじゃないけど。ただしカッコ書きはムダな記述。(笑)
なお、「近代特有の思想である」というのはその通りだが、ここに置かれるとちょっと違和感がありすぎ。もっと早く出てきてしかるべき。最初のところに置くほうがいい。
また、1970年代以降の第二波フェミニズムでは、ミシェル・フーコーなどの、ゲイ(男性同性愛者)・性的指向についての研究の成果を取り込んで、ジェンダーへの関心や、同性愛などセクシュアル・マイノリティの扱いにまで視点を広げたともいわれる。しかし、フェミニストとセクシュアル・マイノリティにはそれぞれに立場に違いがあり、共闘する場合もあったものの、対立や論争も発生している。
そこでフーコーかよ。(笑)フーコーがフェミニズムに影響を与え始めるのは、ポスト構造主義がアメリカで流行りだした後じゃないの? 主に80年代になってからだと思うけど、どうだろう。さらに「1970年代以降の第二波フェミニズムでは」のあとにいきなりくるのも、妙な感じ。ほかに書くことないのかなあ。あと、これだとフーコーのゲイや性的指向についての研究というのがあって(いや、「ない」とは言えないかも知れないが)、それが取り入れられたように受け取れる。フーコーなどに影響を受けたセクシュアリティ研究の成果を取り込んだ、と書く方がましだろう。あと「ジェンダーへの関心」ってのは意味不明。ジェンダーに関心があるのは当たり前。たぶんジェンダー・アイデンティティの問題といいたいのだと思う。
フェミニズムは過去、現在の社会関係においての、社会理論と政治的慣習の組み合わせであり、主に女性の被抑圧的な体験によって動機付けされた束縛からの解放を目指すものである。一般的には、フェミニズムは性別的不平等論を含み、より具体的には、女性権利の新たな獲得と利益の向上を含む。
日本語がヘン。最初の部分は何を言いたいのかわからない。ここは英語か何かから訳した部分だと思う。「過去・現在の社会関係についての(=on)社会理論と政治的実践(=practice、pratique)」ということかな。「性別的不平等論」も日本語としておかしい。「女性権利」もなんだかなあ。
フェミニストが論じるのは、ジェンダー、そして性でさえもが、社会的、政治的、経済的な理由によって不平等に構築されているのではないか、という問題である。 政治的に活動するフェミニストが主張するのは、女性参政権、賃金格差の是正、婚姻男女別姓、出産の自己決定権などの問題である。
めんどうになったので、日本語の添削はどなたかにまかせます。内容についていうと、「理由」ってなんだかおかしいように思う。経済的な原因があって、ジェンダーが不平等に構築されてる? 因果関係がそうだっていうこと? へんだろ、それは。ひょっとして、これも訳の問題かな。
フェミニズムは、特定の集団、慣習、歴史的事件に伴う案件に対して個々にも対処するものであるが、その基本は集団間に存在する不平等さに対する意識覚醒を含み、社会構造そのものを改変することを目指す。フェミニズムは、様々な形をとる。
ここも訳っぽい。つーかさ、「不平等さ」ってなに?
多くのフェミニストは、女性に関する様々な社会問題が、男性優位の社会構造から生じ、または家父長制が無意識に前提視されていることから生じていると主張している。また、女性間の差異を考慮に入れれば、たとえば、「黒人」「女性」というように、二重、三重に抑圧されていると捉えることができるため、フェミニズムを複合的な抑圧の集成理論として、また相互に影響する多くの解放運動の流れの一つとして捉えることもできる。
ここも訳した箇所かもしれない。読みにくいけどあまり問題はないように思う。ただ「『黒人』『女性』」というのはちょっとヘン。誤解されそう。「『黒人』の『女性』」としたほうがわかりやすいと思う。
フェミニズムは、これまでもっぱら先進国の女性たちが関わってきた関係で先進国における諸問題に焦点があてられていたが、それでは世界の多種多様な現実に対応できないとの反省から、地域ごとの相違を認め、ゆるやかな連合形態に向けた模索が続けられている。
「これまで」って、いつのことについて書いているのかわかりませんが、メキシコ会議(1975年)のときにすでにかなり途上国の女性からベティ・フリーダンとか批判を受けてたのではなかったでしたっけ。
……もう疲れたよ、パトラッシュ。あとは気が向いたら。(でもわたし気が向くの遅いからなー。)
*1:なお、ちゃんとした記述もあります。というか、総量としてはそっちのほうが多いのかも知れません。