日本社会学会大会

 10/28−10/29、立命館大学衣笠キャンパスにて開催。
 あちこちの部会をザッピングしていた1日目と、2日目午後のシンポは割愛。(ぇ
 2日目午前中は「性・ジェンダー(2)」の部会に常駐した。入った瞬間、「でははじめます」と司会のIのうえ先生にいわれてしまって抜けられなくなったというか。(ほんとは、1本目の報告の時間帯は泰斗部会に出たかったのだが。)
 報告は次の7本。学会のWebに出ているのであまり意味がないが、報告者のお名前はここでは伏せておく。

  1. 博覧会におけるセクシャリティの流用――1903年と1912年の異民族「展示」
  2. ジェンダー化された二つの職場文化――近代日本の電話交換手と電信技手を比較して
  3. 近代日本の性教育言説のジェンダー分析――読売新聞紙上における性教育論争(1908)を中心に
  4. 日本近代におけるジェンダー秩序の構築――女性同性愛を事例として
  5. 現代女性にとってのホモソーシャリティ異性愛――男装コスプレ喫茶をめぐる一試論
  6. ジェンダーアイデンティティ形成の場としての職場
  7. セクハラの社会問題化――グローバル化する社会での法改正後の意識変化

 第二報告を聴くのが今回の主眼。報告者が旧知の人ということだけでなく、共同で科研に出している研究計画と、時代は異なるが重なりそうな内容だったので。が、どれもおもしろかった。第一報告から第四報告までが歴史研究で、聴いてて、ああヲレって歴史研究好きだよなあ、とつくづく思った。(得意、ではない。)聴いててワクワクしてくる。以下、全部フォローするのは無理なので、ピックアップしてメモ。話聴いてなかった人にはわからないかも。
 植民地支配というのは、被支配者側での「支配」の構築のみならず、支配する側での「支配」の構築をもともなうのだが、そこにはシンボリックなレベルでジェンダーセクシュアリティが介在している、というのが第一報告の趣旨。周辺の知識がこちらにあったら、聴いていてもっと報告内容の意味がよくわかったように思う。まだまだ勉強が足りない。
 第二報告だが、残念ながら15分という枠の中では分量的に難しい内容だった。特に、「比較」とはいうものの電信技手の話がほとんどなかったように思う。まあ彼女の博論でも読めばいいのかも。あ、あと最初の「鉄オタ」の話って、本論とどういう関係があるのかよくわからなかったよ。(笑)
 第四報告は明治初期からの女性同性愛をめぐる新聞紙上の言説をたどりながら、女性同性愛へ向けられる変遷の中から異性愛と結びついた形でジェンダー秩序が構築されてくるプロセスをたどろうというもの。こういうのってどうしても資料が限定されがちなのだが、今回も多少その感あり。話としてはおもしろい。ただ、後で思ったことだが、明治初期の新聞読者層というのはごく限られていたと思うので、報告内でいわれていたように女性同性愛にスティグマが与えられていないのは、書き手および想定された読み手層と記事の対象(ここでは女性同性愛者)の属する階層とに距離があるせいかもしれない。というのは、以前明治後期から昭和初期にかけての新聞紙上にあらわれた買売春関係の言説を追っていたときに、似たような傾向が見られたから。
 第五報告は、配られた要旨集の記述とは別内容になってた。(笑)でも、内容はフィールドワーク部分も含めてすごく楽しかった。ポイントは、質問でも出ていたが、レヴィ‐ストロースのいう「女性の交換」と、ここでいう「男性イメージの交換」(女性のホモソーシャリティを成立させている基盤としての)との相違だろう。
 第六報告は女性総合職の聞き取り調査だったのだが、これもあとで思ったのだが、「ジェンダーアイデンティティ」っていうと別なものを思い浮かべてしまうかもしれない。むしろ「自己のジェンダー・イメージ」みたいなものだ。感じたのは、以前卒論指導をした学生が、一般職女性の退職理由(および退職したい理由)の調査をやって、職場にいても先が見えないから、というまとめをしていたのだが、総合職女性も同じなんだなーとつくづく感じた。要は一般職だろうが総合職だろうが、「女性」というだけで処遇のされ方が周辺的なものになってしまうということだろう。働いている女性たちはそれを敏感に感じ取るのだ。部会終了後に少しお話ししたかったんだけど、某Mさんと話している間に見失った。
 終わってから気がついたのだけど、一つだけ質問が出てなかった報告があったような気がする。わたしが最初学会で報告したとき、最後のまとめで司会者に無視されて妙な気分(婉曲表現(笑))になったことがある。気になさってなければいいが。