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ファンタジーとジェンダー

ファンタジーとジェンダー

 いろいろ見つける。図書館の新着図書紹介とか女性センターのニューズレターとか。ブログもいくつかあった。「十二国記」のファンサイトで紹介されてたのはうれしかったし、作家さん(とりあげた本を書いている人ではない)が読んでくれていたのも感慨深かった。その作家さんの本を読まねば、という気になった。(あとで読む。)

■しかしAmazonの「レビュー」はひどすぎる

 噴飯ものである。この「レビュー」を書いた人はどうやら必要最小限の読解力もないようだし、ファンタジーを知らなさすぎる。「そもそもファンタジーの主人公はほとんど例外なく20代以下の年少者で」とか書いてるが、『指輪物語』の主要登場人物が20代以下ってことはないし、だいたいファンタジーの舞台となる異世界では、現代社会とは成熟の尺度が異なるのだから、「20代以下」を「年少者」と必ずしもいえないのである。逆に30代だから成熟しているともいえないが。(ホビットを見ればよくわかる。)
 あまりにもヒドいのでこれ以上まともに取り合う気にもなれないが、最初のほうから一点だけコメント。

1.【男女逆転肯定】・・「男装の麗人

 誰が「男女逆転」を肯定しているのかはよくわからないが、仮にわたしが「男女逆転」を肯定していたとしよう。だとしたら「男装の麗人」について、この文脈でふれるだろうか。いや、それはあり得ない。なぜなら、「男装の麗人」は「男女逆転」ではないからだ*1。もうこの段階ですでにこの「レビュー」(というか「ジェンダー論者はこう」という妄想の垂れ流し)はダメダメである。
 なお、わたしは性役割を越境する彼女たちが読者にとって「魅力的」であるとは述べているが、それはそもそも境界線が存在するから越境が「魅力的」なのだと指摘している。また、ヘテロセクシュアルな関係に入る前の一時期の「男装」(=サファイア型)には限界がある、とも明記している。そのほか、「例外」でしかない「男装の麗人」たちが社会を変える力を本当に持ちうるのか、という疑問も投げかけている。
 また、現代ファンタジーの「古典」である二作品で登場する「麗人」たちは、決して肯定的に描かれていないということも指摘している。さらにいえば、「戦闘美少女」としての彼女たちは男性の欲望に従属させられるセクシュアルな存在でさえあるのだ(これは第3章の内容だが)。
 つまりは作品も、そこで用いられている「しくみ」も、それらの受け取られ方も、単純なものではないのである。なんてわざわざ書くのもあほらしい。要するに「ベスト500レビュアー」とかいうこの人は、なにも「レビュー」なんてしてやいないのだ。

*1:なお、第2章の最初で「男装」の意味について論じている。