読了:田村理『国家は僕らをまもらない』

国家は僕らをまもらない―愛と自由の憲法論 (朝日新書 39)

国家は僕らをまもらない―愛と自由の憲法論 (朝日新書 39)

 たしかにさっき書いたように、猛烈に恥ずかしい副題つきではあるけれど、この本には彼が愛してやまないさまざまな場所や人や本――福島のフランス料理店「レ・フルール」、娘さんの春香さん、愛読書の『パタリロ!』、など――が、たくさん登場する。その意味ではまさに「愛がたっぷりてんこもり」だ。いつだったか、お連れ合いが仕事をしている街までの500kmの道のりを、福島を午後8時すぎに出て走破する(当然到着は午前2時とか3時とかだ)と聞いて、うかつにも「そんなにまでして彼女に会いたいか」と訊いてしまったことがある。彼は満面の笑みを浮かべて「うん」とうなずいた。あ、しまった、と思った。(その後自分も似たような境遇になって、「ごめん、りーちゃん、あんなこと訊いて悪かった」とあやまったけど。)
 そして彼がその生き方で実践している「自由」の精神が、文体からあふれてくる。わたしは一橋にいたときは、研究科が違ったこともあって、田村くんを紀要論文でしか知らなかったのだけど、同期で就職して職場をともにしてみて、その生き方に大いに憧れ、影響を受けた。(もちろん、そんな簡単に真似はできるものではない。)
 そんな彼の気持ちがこもったこの本は、こむずかしい理論を解説するものではなく、身の回りのものに託して憲法に本来込められているはずの「気持ち」を伝えようという本だ。「気持ち」を理解するのは、頭で「理論」を理解するよりよっぽど難しいことかもしれない。少なくとも研究者が論文を書くのとは別な困難があることは確かだ。
 この本ではキムタク、サザンオールスターズイチローなどが登場し、彼らの姿に託して、「気持ち」を伝えようとしている。なぜか出てくるのがほとんど男性ばかり(第5章だけ例外)なのが気になるのだが、まあそれはおいておこう。この試みが成功しているのかどうかはわからない。著者本人の姿を見ているわたしには別な理解への途があるからだ。手に取ってみて、ぜひ序章だけでも読んでみてほしい。彼の言葉に少しでもピンとくるところがあった人や、おい!と気持ちを逆なでされた人は、この本を読んでみるべきだと思う。