読了

 大学の先輩である佐藤達郎さんの初の単著。佐藤さんとはTwitterで知り合った。IDは@hinasoyo。福島で見あたらず(というかアスキー新書をそもそも置いてない)、最終的に東京の乗換駅近くの書店で購入。
 まずたいへん読みやすい本である。その理由は、文章がわかりやすいせい。最初から妙に難しい概念を出さない。キーワード的なカタカナはいくつも出てくるが、もちろんていねいに事例を出して解説されているので、読んでいくとわかる。また、あまりセンテンスが長くない。このあたりは広告業界で表現を鍛えられたのではないか。(後半第5章以降、やや専門用語が頻出する。もとが『広告科学』誌に掲載された論文のためかもしれない。)
 第1章で体験として語られるように、2004年に著者はカンヌ国際広告祭の審査員日本代表をつとめている。また、カンヌの審査のプロセスと結果を検討しながら、広告表現(あるいは広告というもののあり方そのもの)のフロンティアを探ろうとしている。この二つが大きな内容の柱である。前者の体験記は、ここだけでも読み応えがあって、貴重。(ほかはいらないということではない。)
 新しいタイプの広告についても触れられている。インターネット広告に興味がある人も、google的な「一行広告」ではない、自社サイトにおけるコンテンツ志向タイプの広告の基本的な発想に触れることができるだろう。
 一点、「クリエイティブ」と「クリエイティビティ」(「クリエイター」も?)の使い分けだけは、やや読んでて混乱した。ここは「クリエイティブ」であるべきなのかもしれないが、どういう意味でそう書かれているのか、いくつか判然としなかったところも。「創造的な制作」という意味の名詞なのか、「創造的制作物」なのか、あるいは(Twitterでリプライをいただいたが)「制作部門」なのか。いろいろな意味が同時にあるのだろうけど。
 別にわたしは広告業界の人間ではないが、父親が佐藤さんと同系列の会社で仕事をしていたために、妙に基礎知識があったりする。また、テレビをつけていても、CMになると思わずテレビを見たりする。(音量があがるせいもある。)関心はそれなりにあるので、全体的に楽しく読ませていただいた。
 また、大学の講義もある種の「プレゼン」だし、要点とか「教えたいこと」のPRだし、広告との共通点はあるわけだ。その点からも、役立つヒントを得ることができた。「シンプル・メッセージ&リッチ・コンテンツ」とか。
 あと、大学人(国立だけかも)はキャッチコピーやPRを考えるのが本当に苦手なので、そういう意味でも参考になる点はいくつかあった。いや、わたしも「そのコピーはダメでしょう」とはいえても、じゃあどんなのが?と問われると困る。(笑)たまにキャッチーな台詞ははけても、いつも、そして限られた時間の中で、それができるわけではないので。

■追記

 ただ、なんだか気になったのは、佐藤さんの男性中心的な視線だ。たとえば、例としてあげられる広告は、総体として男性が主体で、女性が客体(見られる側)という構造を持つ。
 アルゼンチン航空の広告には、飛行機好きの少年が登場する。少年は、飛行機の“影”を缶に詰めて大事に持ち歩く。飛行機に対する「夢」を大事にする航空会社であることを、ここではメッセージとして打ち出している、という。そしてその「夢」を抱く主体は男性なのだ。(書かれていないが、たぶん機長=少年が成長した姿も男性なのだろう。)
 148ページのビールの広告のコピーも、「男たちのために造られたビール」である(そういうコンセプトでビールが造られること自体は否定しない)。「悪ガキっぽさを残した男同士の世界」という佐藤さんの解釈からは、広告のホモソーシャルな表現と、そこへの肯定的な注目も感じられる。
 同じビールの広告戦略の中で出てくる“Busted”というゲーム(という形のインタラクティブな広告、152ページ)では、マウスを操って女性の視線をそらし、こちら(=男性が想定されているものと思われる)は女性の胸元をのぞきこむことで加点される。これなどは、男性の窃視的視線(ローラ・マルヴィ)をエンターテイメント化したものにほかならない。
 そうでないものもあるのかもしれないのだが、これらを「おもしろい事例」としてあげることの意味はなんなのだろうか。
 ただ、こうした発想のあり方は、すべてではないが、広告や広告主である企業そのものの発想に内在する問題であるのかもしれない。たとえば、ダヴ(そういえばvは基本的にバ行でカタカナ表記されているが、ここは「ヴ」である)の「リアルビューティ」戦略の中で制作された“エボリューション”広告のコンセプトが、同社のWebの記載から説明されている(p.181)。そこで書かれているのは、「美」に対するある種の「チャレンジ」だ。

 リアルビューティは、体型、体の大きさ、年齢に関わりなく実現できると、我々は信じている。(中略)より寛大で、健康的で、民主的な美の見方を提示する。すべての女性たちが、日々、自分のこととして受け止め楽しめるような美の見方を。

 しかしダヴの戦略は、性別の境界には「チャレンジ」しない。
 唯一、事例の中でいえば、ボクサーのモハメド・アリと、やはりボクサーになった娘のライラ・アリとのCGを駆使した「対戦」は、アディダスのポジティブなメッセージを伝えるもので、そこでは、ボクシングというスポーツへの女性の参入を含めて、「不可能を可能にする」というメッセージが効いている。もちろんこれは、「受け手」であるわたしの「解釈」だが、そうした「解釈」への道を開く「可能性」を有した制作物であるといいうるだろう。
 「可能性」は示されていないわけではないし、別に佐藤さんのこの本にあえて求めようと思わないが、そんなことを考えさせられた1冊であり、考えさせる力を持った、触発的な1冊であった。

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