読了・『華竜の宮』

華竜の宮 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

華竜の宮 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 この本の初版刊行日は2010年の10月、わたしが読み始めたのは今年の2月だ。しかし、物語の冒頭で展開される地球科学と地震のメカニズムについての議論は、今読み返すと、まるで3.11を予期していたかのようにも思える。(もちろん、そんなことはないのだが。)
 本書は、メタンハイドレードの放出に伴う温暖化の進行や、ポリネシアホットプルームの上昇による海面上昇によって、多くの平野が海面下に沈み、人類という種の存亡をかけた生き残りが一段落した未来の地球(海の広さが同じ程度であるために、〈リ・クリテイシャス〉=再白亜紀と名付けられている)を舞台とする、「海洋SF」である。600ページ近い長大なこの小説を要領よくまとめるのは手に余ることなので、以下ではほんのわずかなコメントだけを記すことにしたい。
 一読して、まずその緻密な世界構成に驚かされる。〈リ・クリテイシャス〉という壮大な舞台設定もそうだが、生態系とその変動、世界政治のありさま、性愛関係とそれにかかわる社会制度、詰め込まれたさまざまな空想上のテクノロジーなど、膨大な数の設定がちりばめられ、ストーリーと同時にそれらの設定を追う必要がある。しかしそれでいて、物語は決して読みにくいものではないし、設定を並べただけのような、無味乾燥な代物でもない。良質のSFやファンタジーが備えるべき条件を、しっかりとクリアしているといえよう。
 物語の展開は、人類にとって過酷で、ある意味救いがない。物語世界は、カタストロフィ後の地球であるが、物語の後半で明かされるのは、もうひとたびの逃れられない破局が未来に待ち受けているという事実である。それでも、自身にできる最善のこととは何なのかを考え、信念にしたがって行動する主人公たち(そこには人工生命体や、人類以外の知性体も含まれるのだが)を、筆者はていねいに描いている。
 わたしたちにとっての「今」は、ここまで過酷な状況ではない(少なくとも今のところは)。しかし、すぐれたSFやファンタジーは、現実のある部分を誇張したり反転させたりして、わたしたちの想像力につきつけることで、当の現実との対決を迫るものである。『華竜の宮』がつきつけるのは、自然災害と核の汚染という「今」に、わたしたちがどのような態度で、どう立ち向かうのかということなのかも知れない。