南相馬市と松川浦

 4月24日の日曜日、南相馬市・相馬市へ行ってきました。
 本当はこの日は、計画的避難区域に指定された飯舘村にお住まいの方からお話をうかがおうと思っていたのですが、たまたまその方が、引っ越す先が見つかるかも知れないので急遽物件を見に行くということになり、村まで来たところで予定が空いてしまったのです。
 さらに、飯舘では同僚と合流することも約束していたのですが、何度彼女の携帯に電話をかけてもつながりません。
 車を運転してくれた友人と駐車場で、しばし途方に暮れていたのですが、「……海を見に行こうか。」とどちらからともなく言いだし、そのまま道なりに原町(南相馬市)へ、そのあと6号線を北上して、松川浦を見に行くことになりました。(いや、海って。)
 山道を下り、南相馬市へ入ったのですが、桜や菜種の花が咲いていたり、おじいちゃんが自転車に乗っていたりと、のどかな春の風景です。ただ、ところどころ家の屋根に青いシートがかけてあるのと、店がいくつも閉店中であることが、ここが被災地であることを示していました。
 南相馬市役所の角を曲がり、東へ進んでいっても、まだそんな光景が続いていました。「エステサロンやってるねー」「あそこの散髪屋さんもやってるんじゃない?」同行した友人と、なにか日常性を確かめ合うようにしながら先へ進むと――
 ……え?
 いきなり目に映るものが一変しました。
 1階の部分が打ち破られた家。積み上げられたがれき。そこから先が、津波の被害を受けた地域だったのです。
 戻るときに撮った写真なので、逆向きですが、これがその散髪屋さん。

 その隣の建物がこれ。

 その先はしかし……こんな光景です。

 よく見ると、2枚目の写真にがれきが映っています(フェンスで隠れているところ)。つまり、ここが津波被害の境界線なんですね。
 車を停めて、友人が頭を抱えました。「これはキツいよ……。」
 たとえ助かっていたとしても、隣がこんなことになっていたら、やりきれない。家が無事でも、無事だったからこそ、つらい。やってられない。
 自分の住んでいる土地(彼女は生まれたときから福島県に住んでいる人です)のことを思いながらだと思いますが、友人はそう繰り返していました。
 地図ではだいたいこのあたりです。
 そのあと6号線に戻って北へ。やはり、道の東側(海寄り、進行方向向かって右)は津波でがれきが散乱、西側(進行方向向かって左)は住宅や田んぼや畑がそのままの姿、といった光景がしばしば見られました。人にはどうしようもない境界が、今もはっきりと目に見える形でまだ残っています。
 松川浦は、友人がよく海水浴に来た土地らしいのですが、道なりに進むたびに「あれ、ここでお弁当買ったんだけど……」「ここに泊まってごはん食べたんだけど……」という連続。(写真を載せるのは控えます。)
 ものすごくシュールだったのは、津波で陸に押し上げられた船が、道ばたにそのままになっていたのですが、道路を隔てた反対側はまったく被害に遭っていなくて、そこの畑でおじいさんがねぎの土を盛っていたこと。非日常と日常が隣接している、不思議な光景でした。(写真撮り損ねました。)
 きっと、そこで生活している人にとっては、打ち上げられた船も日常の光景として組み込まれてしまっているのでしょうね。
 松川浦で撮った写真、一枚だけ掲載します。上に書いたような状況の中でも、満開になっていた桜です。

 「こんな時でも、花は咲くんだね。しかも、きれいだよね……。」
 ハンドルを切って、相馬市街から福島市へ向かう道へ車を入れながら、桜が散る光景を見て友人がつぶやいていました。
 なお、同僚と連絡がつかなかったのは、彼女が携帯を車に忘れて役場に行っていたからでした。(ソンナコトジャナイカトオモッタ。)