ave

 福島県を主に活動の場にしているシンガー・ソングライターのaveは以前「網戸」という二人組ユニットを組んで、ストリートミュージシャンとして活動していたという。
 その話を聞いて、「ああ、あの……」と思い出したぐらい、当時福島市で歌っていたストリートミュージシャンの中では、実力のあるユニットだった。なによりもまず、ギター演奏がきちんとしていた。本人たちの歌も、口先だけで高音を出すような現代風の歌い方ではなく、しっかり発声練習を積んだ感じで、声に力がこもっていた。
 震災直後に彼の歌をラジオや街頭テレビで聴いたのは、そう何回もなかったのだが、リフレインの「いつか君がこの街で暮らしたいと/言ってくれたら幸せだろう」という歌詞は、妙に耳になじんだし、高い放射線量に苦しむ福島の地に住む者として、涙を禁じ得ないものだった。
 今改めて歌を聴いてみると、「ん?」と思うところも少なくない。「バラバラだった僕達が……一つになる時がきたんだ」という、「頑張っぺver.」の冒頭の部分などは、そんな簡単に「一つに」とかいえるのか(or いえる時があったのか)と首をかしげたくなるし、「この歌の“僕”は、みなさん一人一人のことです」(ライブでの発言より)というけれど、やはり男性をそこでは想定して歌われているのではないか(そのこと自体がよくないということではないが)と思うこともある。
 YouTubeで同時に流れる映像も、日の丸を持ったインテルの長友だったり(いや、長友はいいんだけどね)、「Fukushima 50」がどうしたなどと、手放しで肯定できたりしないものもある。
 ただ、にもかかわらず、わたしにとっては心に残る歌だ。
 一つには、震災後の苦しい時に知った歌だ、ということもあるだろう。3月の後半には何もかもが心を苦しめたが、同時に何もかもに癒された。アーシュラ・ル・グィンのメッセージの翻訳が何かで流れてきた時にもそうだったし、数え切れない。
 もう一つは、やはり生で彼の歌を聴いたということもあるだろう。昨年の夏にキャリア教育の授業で、コミュニティFMのアナウンサーにゲストで来てもらったら、「おまけ」でギャラ抜きでaveが来てくれて、2曲歌ってくれたのだ。伴奏は自分のギターだけ、マイクはなしだったが、おつりが来るぐらいの声量で場を圧倒した。
 そして、今頃になってオリジナルバージョンの歌詞を見て、この歌で彼が歌おうとしていたことが、改めてわかった気がした。

 「音楽都市と謳えど/歌も流れてなければ」というあたり、「なら自分で歌をこの街に響かせよう」という彼の思いが伝わってくる。もどかしさや、「オレが」という気持ち、そんなものが聞こえてくる気がする。
 今さらなのだが、一度書いておきたいと思ったので。