ジェンダー・フリー・バッシング


とっても奇妙な都教委の通知

 先頃東京都教育委員会がやってくださいました。なにをしたかはここを見てください。

 男女平等教育について(東京都)

 要は、「『ジェンダー・フリー』という言葉はいろいろ混乱して使われているから、今後うちらはこの言葉を使いません。」という内容。「男らしさ」「女らしさ」を否定するような意味で「ジェンダー・フリー」という言葉が使われることを気にしているらしい。加えて、そういう意味での「ジェンダー・フリー」の考え方に基づく男女混合名簿作成はやめること、というような内容の通知を都立学校あてに出しています。

産経報道をめぐって

 最初この見解および通知について、産経新聞が次のような報道をしました。


○「ジェンダーフリー」教育現場から全廃 東京都、男女混合名簿も禁止
 男女の性差までも否定する過激な男女平等教育の背景になっているとして、東京都教育委員会は十二日、「ジェンダーフリー」という用語を教育現場から排除することを決めた。学校での「ジェンダーフリー思想に基づいた男女混合名簿」の作成も、禁止する方針。(中略)通知によって、ジェンダーフリーの記述がある教科書を使う際には、社会の多様な考え方のひとつとして教育するよう配慮することになるという。(8月13日付け記事より抜粋)
 ……なんか微妙に変だぞ、と思われた方は正しい。特に見出しが変。別に男女混合名簿を全面禁止すると都教委が言っているわけではないですから。
 記事本文も読みようによっては「間違ってないじゃん」ということなのかもしれませんが、多くの人はこれを読んで「ジェンダーフリー」とは男女の性差を否定する「過激」なもの、だと考えると思います。都教委の通知ではそこまでは言ってなくて、一部そういう見解がある、としているだけです。(腹の中でどう思っているかは知らないけど。)
 加藤秀一さんのホームページに掲載されている見解*1も、産経新聞の報道に基づいているようです。「ついに東京都は『教育現場におけるジェンダー・フリーという言葉の使用』と『男女混合名簿』を禁止するという行動に出てきたようだ。」とありますが、後半についてはすでに述べたとおり。もっとも、彼の主張の根幹には影響ありませんが。
 続けて、「『ジェンダー・フリー』が教科書に出てきたら、多様な考え方の一つにすぎないという注釈をつけさせるんだってさ。まさしく『ジェンダー・フリー』ってのこそ[ママ]が、そういう多様な考え方を尊重しようという理念なんだけどね。」と書いているところあたり。加藤さんがここで「ジェンダー・フリー」について書かれていることはその通りです。ただし、その言葉が向けられる先が、産経の報道内容になっているので、ややピントがズレてしまっています。都は「男らしさ」「女らしさ」を否定するような意味で「ジェンダー・フリー」という言葉を使っている教材について、そういった教材を使う際には都教委の見解をふまえて対応せよと通知しているだけなので。
 ただし、産経の記事というのは実は都教委の「本音」を言い当てているみたいなところがあるので、本当はぴたりとあたってるような気もしますが。
 この報道、よく社会のマジョリティが、マイノリティの権利要求に対して自らを擁護する際に「多様性」を持ち出すことがありますが、記事の中の発想もまさにそれだと言えるでしょう。
 産経新聞の報道は、意図せずにここまでミスリーディングな書き方をしたのなら、記者とデスクの職業上の能力が低いことの証明だし、意図してやったなら悪質さの証明だし、いずれにせよ問題ありでしょう。都教委のやっていることも感心しませんが。ただし、産経の報道への批判と都に対する批判は、今後はきちんと分けた方がいいと思います。

「行政文書」には「行政的対応」で

 実は都教委の本音は産経報道そのままかも知れない、と書きましたが、じゃあこんな腰の据わっていない通知を出したのか、というと、たぶんこれは、あくまで行政文書なのでこういう書き方をしているということなのではないかと思われます。
 つまり本音は別なところにある。さっきから「腹の中でどう思っているかは知らないけど。」とか書いているのは、そのへんをかんぐって書いているわけ。
 ただし、もちろん行政文書に対応するにはそれなりの(お役所的)方法もあるわけで、「うちでやってる男女混合名簿はこういう考えにもとづいていません。」って言い訳すれば、問題はなさそうではあります。

"gender free"の元の意味

 ところで、わたしはあんまし(いやほとんど)この言葉を使わないし、実際に英語圏の文献で使われているのを見たことがないのですが、用例がないというわけではないようです。Macskaさんが調べてまとめてくださっています。

 英語文献における「ジェンダーフリー」を見つかる限り紹介

 結論だけ書くと、「ほとんどが単に『男女差別のない』『男女が対等な』『性別と関係ない』の言い換え」なんだそうです。この言葉については、まあその線で使っていくのが無難だとは思います。

 もっとも、都もこれでことをおさめるかどうか微妙なところでしょうし、波紋も大きいようです(と、福島県のある方から聞きました)。ただし、いちおう都の方針も、形としては内閣府の見解を踏まえたものになっているので、この見解の中にある「地方公共団体において,差別をなくすという意味で,[註:ジェンダー・フリーということばの]定義を明らかにして使用しているものについては,問題ない」というところに依拠していけば、別段支障はないと思いますけどね。テキが苦しい立場で行政的文書を出してきているのですから、こちらもていねいにそれに応えてあげるのがよいのではないでしょうか。もちろんおつきあいする義理はないのですが、まあとことんつきあうために必要とされるエネルギーは、もっとふさわしい方向へ向けたいもの。
 しかし、なんでまた「全面禁止令」みたいなものが出てしまうのか、統制するのが最近お好きな都教委のようです。

*1:今になったらこちらを見ていただいた方がよいでしょう。→http://d.hatena.ne.jp/katos/20040823[2005/01/15追記]