『Looking for Fumiko――女たちの自分探し』上映会

 1993年製作のこの映画、ロサンゼルス映画祭で賞を得たり、そのほか各国の映画祭で上映されるなど、外国ではそれなりに知られ、評価を受けてきた作品です。今日の栗原奈名子監督の話では、テレビ放映もされたとか。(全米ネットワークやオーストラリアなどで。)
 しかし、日本のウーマンリブ運動をテーマとしたものであるにもかかわらず、日本では全然知られていない。女性センターにはビデオがあったりするんですけど、そういうところへわざわざ行ってこの作品を見るという人は限られています。(数じゃなくて、層として限定されている、ということ。)
 ということで、今回は福島フォーラム(映画館)さんに特にお願いして、一般上映という形を取らせていただきました。フォーラム関係者のみなさんには心から感謝したいと思います。特に支配人の阿部さんにはいろいろとお世話になりました。ご迷惑をおかけしてすいません。また次の機会もよろしくお願いします。合わせて、栗原さんを呼んで講演をという企画に快く賛同して資金を出してくださった、ふくしま女性フォーラムにも感謝させていただきます。
 福島フォーラムについて付言しておくと、ここはふつうの映画館ではあるのですが、ミニシアター系の作品なども多く上映しており、また市民のリクエストにも応えてくれるなど、地域密着型の運営をしている映画館でもあります。横に大型シネコンワーナーマイカル)があって、こちらに人気作品を取られたりすることもあり、経営は決して楽ではないと思いますが、上映作品の幅の広さでは、単独の地方映画館としてはトップクラスなのではないかと思います。地域文化を主導する力をもったところといえるでしょう。
 今回次のような文章を書いて、宣伝用のチラシの裏面に刷っておきました。


 リブ運動とは、日本では1970年にはじまり、75年頃まで続いた女性運動のこと。内容は多岐に渡り、社会のさまざまな領域における男性中心主義の告発にはじまり、主婦であることの問い直しや、家庭科の男女共修をめざす運動、リプロダクティブ・ヘルス/ライツの主張など、おおよそ考えられるありとあらゆる問題が、30年以上前にすでに出てきていたのです。
 1972〜73年頃は「優生保護法改悪阻止」という大きな目標があったため、外からも見やすい部分があったのですが、国際婦人年とされた1975年頃からは、個別の問題に取り組む小グループの運動が中心になっていき、全体像がわかりにくくなっていきます。
 今や世の中の多くの人は、リブ運動についてほとんど知りません。先に述べたように、解決済みの問題も含め、これまで女性問題とかジェンダー問題として取り上げられてきたもののほとんどが、この時期にすでに問題提起されていたにもかかわらず、です。(男性解放(メンズリブ)の主張まですでにあったのです。)
 福島にリブ運動にかかわった女性たちが集まったこともあります。ちょうど30年前、1974年のオノ・ヨーコさんの郡山でのコンサートの時です。同じ年、在仙の女性の呼びかけで、東北での合宿が鳴子温泉で行なわれています。知られていないだけで、ひょっとしたらひっそりと活動グループが福島県内にもあったかも知れません。もちろん、関心を持っていた人も少なからず存在したでしょう。
 リブ運動が知られていないのにはいくつかの理由がありますが、最大のものは、マスメディアが無視やからかいに終始し、リブ運動をまともに報道しなかったということのようです。新聞社もテレビ局も男性中心の組織であり、男性の視点から物事をとらえ、報道していたということの表われと言えるでしょう。「ヒステリックな女たちがやっている」だとか「男に相手にされない女のひがみ」だとか書きたてられましたが、リブ運動に参加していた女性たちは、皆どこにでもいるごく普通の女性たちで、平凡でありながらかつ自分らしく生きるためにはどうしたらいいのかを考え、悩んでいた人たちだったのです。
 そう、リブ運動は「社会を変えよう」という運動であったと同時に、「自分を変えよう」という運動でもありました。この映画のサブタイトルが「女たちの自分探し」になっていることとも関係があります。「母」や「妻」などの役割に還元されてしまわない、「女(わたし)」としての自分のあり方を模索する運動だったのです。いろいろな資料からうかがわれる当時の女性たちの声に耳を傾けていると、彼女たちが何とかして自分が感じている苦しみを表現しよう、自分らしさを手に入れよう、自分が生きたい生とは何なのかをつかもうとしてもがいているさまを感じとることができます。
 わたしたちの現在(いま)を源へさかのぼり、現在の状況をとらえなおすためにも、この映画をみなさんにぜひ一度観ていただきたいと思います。映っている彼女たちの姿は、ひょっとしたら、わたしたちの今の姿であるかも知れません。
 リブは当時の社会からも無視されたし、今もなおそうであり続けています。研究者もこの風潮から無縁でなく、たとえば永原和子・米田佐代子『おんなの昭和史』(有斐閣)にはリブについての記述はありません。いいのかそれで、とか思ったものです、米田さんの授業取ってたとき。加納実紀代さんの著書や落合恵美子さんの『21世紀家族へ』(有斐閣)などでは触れられていますが、女性史のメインストリームからは完全に無視されてしまっている*1。繰り返しになりますが、「いいのかそれで」という思いがずっとあります。
 作品に登場する田中美津さん(榎美沙子に並ぶ当時のビッグネームの一人)は、「当時の運動ってもこもこしてた」(たぶん不定形でつかみどころがなかったということ)というような発言をしているそうで、参加者自身どうすればどうなるのかってまったくわからずに手探りで運動を続けていたところがあるんじゃないかと思います。それでもなんとか運動が形になっていったのは、彼女たちが運動の根底に据えたものが「自分たちのなまの生」だったからじゃないかと。立脚するにはいちばんしっかりしたものであったかもしれません。
 「grand theory/grounded thoery」という二分法にならうなら、「grand movement/grounded movement」という二分法になるんでしょうか。彼女たちの運動はまさに「地に足をつけた」運動だったと思うし(もちろん理念も盛んに論議されはしただろうけど)、今もなお、何か具体的な問題というのは消えてしまったわけではないのだから、「grounded movement」を作るための足場は、存在しないはずはないのだけれど。

*1:いちおうわたしにはリブの言説を取り上げた論文が1本あったり。「〈自分を・語る・ことば〉――個に根ざす運動の姿」、『一橋論叢』112-2、1994年。