相対的剥奪

 今野さんの話の中で余談として出てきたのですが、彼が秋田大学に勤めていたときに、秋田の銀行の女性行員7人が賃金差別を在職中に訴えるという事件があったそうです*1
 セクシュアル・ハラスメント裁判でもそうなのですが、在職したまま会社なり上司なりを訴えるのは非常に難しいのですが、彼女たちにそれができたのはなぜだろうという疑問を今野さんは抱き、相手に訊いてみたところ、「高校で机を並べて勉強してたときには自分よりできなかった男性たちが、男であるだけで自分たちより高い給料をもらっているのが許せなかった。」という答えがあったそうです。
 そこでわたしが思い出したのは、1960年代アメリカの女性解放運動について、似たようなことが言われていること。社会学の概念では「相対的剥奪」と呼ばれるものです。人が社会運動に参加してくるのは、なにも「絶対的窮乏」(食べていけないとか、どこにも行きようがないとか)が原因であるだけではなく、自分が属していると感じているグループ(準拠集団)との比較で自分が損をしていると感じられること(=相対的剥奪感)が原因となることもある、という説明がそれ。1950年代、60年代のアメリカでは白人女性の高学歴化が進み、職業につく女性も多くなったけど、結婚したらしたで大学では自分よりできなかった夫が高給をもらったりそれなりの地位についたりするし、仕事を続けていたらいたで同期の男たちに対して同じようなことを感じたり、ということで、白人中間層女性に相対的剥奪感が蓄積してきていて、それが女性運動の支持につながったのだ――という説明になるわけです。
 今野さんはそれを「やはり男女共学という環境がそうさせたのではないか」と言っておられました。たしかにまあ、準拠集団の形成という意味はあるのかも。なるほど。

*1:高卒者の賃金上昇カーブが、25歳近辺を境に男性と女性で大きく異なり、女性の給与は頭打ちになるのに対して、男性は上昇し続けることを不当と訴えた裁判。銀行のエラい人が「上昇し続けるのは『娶る人』の給与体系、頭打ちになるのは『娶られる人』の給与体系」とか証言しちゃったそうです。25歳で女はケッコンしろという給与体系かそれは。(笑)
 なお、こうした給与上昇カーブのジェンダー差は、一般的に認められるところでもあり、現代日本では30歳前後でかなり目立つようになります。事務系一般職の女性が勤続10年ぐらいで離職することが多いのは、一つはこうした給与の頭打ち現象があるのでは、と思います。高卒、短大卒、四大卒で10年だと28〜32歳という、男性との差が目立ってくる時期になるわけですね。給料というのは自分の仕事への評価をはかる一つのものさしですから、会社にこれ以上期待されていない、ということがそこで如実に見えてくるわけ。彼女たちを職場に引きとどめておくPull要因が弱いということですね。