ついで:三砂本、コメント追加

 id:june_t:20041206#p3への追記

 http://d.hatena.ne.jp/eirene/20041214#p2 より。


それから、毎日新聞に記載されている、小倉千加子さんの三砂本批判について思うことですが、社会制度・構造を変えていこうという運動的なスタンスと、三砂さんの身体性に着眼するスタンスは、決して矛盾するものではないと思います。

 制度や構造を変えていこうとするだけでなく、「子どもを産め、とにかく産め」という呼びかけも充分に「運動的」であるはずだが、それはともかく。


運動的スタンスに立つ人は、三砂さんの知見を「それはそうだけれど、そんなのは理想論に過ぎない」と言うより、女性から妊娠と出産のよろこびを奪う世の中の仕組みを変えていく際の動機づけとして、活用したらどうなんでしょうか。そういうメッセージを放っている本として、私は『オニババ化』を読んだのですが・・・。

 それはその通り。そして、70年代リブが優生保護法「改悪」阻止の運動を展開した時のスローガンの一つが、「産める社会を、産みたい社会を!」だった。当時すでに出生率の低下が問題になりかかっており、「女に子どもを産ませよう」という目的もあって優生保護法の経済条項の削除が国会に上程された。当然ながらリブ運動はこの動きに対して反対の立場を取るのだが、その時のスローガンがこれだったのだ。「わたしたちは産みたくないから中絶を希望するのではない。いろいろな意味で今の社会が産める社会ではないし、産みたい社会でないからだ。だから安心して子どもが産める社会・産みたい社会を作ることだけが、この問題を解決する」というような意味である。女に「産め!」というのではなく、中絶という途を選択しなくていいような、そういう社会を作るべきだ、という主張である。
 わたしは産む性を有してはいないが、「(社会の子どもが減ったから、体に悪いから、etc.)産め!」という直接的な言説に対しては、あくまでも「No!」の立場を保つ。その上で「産める社会が理想だよね」という想い*1がその言説の基底にあるなら、それは共有するべくつとめたいと思う。(もちろん自分が子どもを実際に持つかどうかは、また別な問題である。)
 ただし、身体性に由来する「よろこび」は、なにも出産や妊娠にかかわることだけではない。また先にも述べたように、度重なる妊娠・出産が体にきしみを生じさせることもありうる話である。「母であれ」という社会的希求が個々の女性にどれだけのプレッシャーを与えているかについての配慮不足はいうまでもない。要は個々人がおかれた社会的・歴史的状況と、生活の中でのバランスと、そして選択を無視しては語れないということだ。それらを無視して「自然」を説いても空しいだけだ。

*1:どちらかというと三砂の直接的な主張よりこちらのほうが「理想」である。