体外受精で最高齢出産

 ※RT=Reproductive Technology

 新聞によって微妙に記事のニュアンスが違うのに気づいた。

首都ブカレストに住む66歳の元大学教授の女性が16日、体外受精で女児を出産した。……結婚したことは一度もないが、9年前から子供が欲しいと不妊治療の専門医に通い、健康な若い男女から提供された精子卵子による体外受精を受けた。

ブカレスト市内の病院で16日、67歳の女性が双子の女児を出産した。……出産を強く希望して、9年間にわたって不妊治療を受けた末に妊娠した。

 年齢が違うのはご愛敬として。
 最初日経の記事を読んでいたときから違和感を感じていたのだが、時事通信の記事ではこの女性が「不妊治療」を受けていた、とはっきり書かれている。ホルモン投与だとか体外受精させた受精卵を体内に入れて着床させるだとか、そういうことを意味しているわけなのだろうが。
 なんというか、「不妊」というと、生殖年齢でありながら何らかの理由で妊娠しない・できない個人あるいは男女カップルのことを指すのでは、と思ってしまうのだ。*1そしてもちろんその状態が、当該個人あるいはカップルにとっては一つの「自然」でもあり、それを「治療」の対象にするのはどうかというような議論もあるだろう。
 しかし、それをさておいても、更年期を過ぎた女性であれば妊娠しないのが「自然」であり、年齢に違いはあれ、この「妊娠できない」状態はすべての女性に平等におとずれるものであるわけで。それすらも「不妊治療」の対象としていくような医療のあり方というか、人間の身体に対する態度って、一体何なんだろう。
 これはつきつめると、たとえばレズビアンカップルのAさんとBさんが子どもがほしいと望んで、Aさんの卵子を誰かそのへんの男性の精子と合わせて受精させ、Bさんの体内に入れて妊娠・出産させ、「二人の間の子ども」を得る――というような処置が執られた時も、「不妊治療」になる……のだろうか。もちろんこの場合、二人ともまだ若いということを前提として考えているわけだが。まあレズビアンカップルだとそのカップル間では妊娠はしようがないだろうから、「不妊」でもいいのかもしれないけど。そうか。(って、納得してどーする。)
 いやしかしでも、そういう状態って「治療」すべきものとして扱うべきなのだろうか。やってることは同じかもしれない。でも「治療」というこの言葉をなんだか無神経に使いすぎるような気もする。多くの人にはどうでもいい、些細なことなのかもしれないけど。
 「不妊治療」は否定されるべきとかそういうことではない。今回の女性の出産についても、わたしとしては別に非難も反対もしないが、ただそこでの問題を取り扱う時の「まなざし」というか、そんなものが気にはなる。
 要するに、あるひと(たち)の「欲望」の実現に対するハードルを、「医学」というディシプリンに帰属させることのできるテクノロジーで排除しようとする際に、「治療」という言葉が用いられているわけだ。そのテクノロジーによって、あるひと(たち)を「幸せ」にすることももちろんできる*2。しかし同時に、「医学」という領域にかかわるさまざまな権力関係が、そこですべりこむ亀裂をも同時に作っているように思う。さらにはジャーナリズムや一般の言説が、こうした「政治」(=権力の作用)を周囲から支えている、そんな構造があるんではないだろうか。
 「オニババ本」の三砂ちづるさんも、「女一般」に対して「身体性をだいじにしろ(=早いとこセックスして子ども産め)」と漠然というんではなくて、こういう問題について、その人にとっての「身体性」とはなんで、それはどう尊重されるべきなのか、いや、べきというか、どういう点に思いをめぐらせてテクノロジーを自分(たち)の身体に対して使っていくかどうか判断するべきかとかで発言してもらえればいいと思うのだけど。そうすれば、もっと「産まされている」人たちも、気が楽になったり、自己肯定感を持つことができるのではないだろうか。そんな気がする。

*1:医学的な定義では、子どもを望んでいる生殖可能な年齢の男女が、避妊をしていないのに2年以上妊娠しない場合が「不妊」とされる。つまり異性愛であること、性関係があること、生殖年齢であることはすでに組み込み済み。

*2:この側面は決して軽視してよいことではない。