リプロイベント・追加レポート(2)+α

 「性のことで傷つくことのない未来に向かって〜性虐待と若齢妊娠から考えるリプロダクティブ・ヘルス/ライツ〜」(2005年2月27日、於福島県男女共生センター)のレポート、2回目。
 id:june_t:20050227#p2に簡単な報告を載せています。
 id:june_t:20050306#p9では、野口報告・梅宮智代報告についてふれています。
 今回は堀報告とそれについて考えたこと。なお、id:june_t:20050306#p11で「あなたはどんな性教育を望んでいるの?」(id:using_pleasure:20050305)にトラックバックした続きでもあります。

 堀琴美さんは福島県女性のための相談支援センター所長。ドメスティック・バイオレンス、特に性虐待について紹介していただいた。
 前回の内容紹介でもそうしたが、出てきた事例の詳細についてはふれないことにしておく。レジュメに記載されている程度にとどめたい。なお3つ紹介された例は、いずれも福島県のものではない。
 報告で紹介されたのは3つのケース。事例1は「DVだと気づかなかった」。経済的支配、言葉の暴力、心理的支配に性虐待がともなうもの。事例2は「近親姦のある家庭」。母親が深刻なDV被害者で、姉妹がいずれも父親からの性虐待を受けているというもの。事例3は「性虐待の後遺症」。10代の性虐待がその後も長く後遺症(摂食障害解離性障害等)として残った例。いずれも深刻な例で、堀さんもしばし続ける言葉を失って沈黙してしまいながらの報告であった。
 印象に残ったのは、事例3について、被害者が自分の身を守るスキルを身につけることができていないと述べられていたこと(事例2の被害者の家族についてもあてはまる)。*1これを聴いて思い出したのが、わたしの友人が東京在住時代にやっていた実践。学齢期前の子どもを持つ親(主に母親だが)のグループで、子どもに性被害を逃れられるようなスキルを身につけさせたり(基本は自分がイヤだと思ったことにイヤと言うすべを身につけること)、相手の気持ちをきちんと尊重して、相手がイヤということはしない(加害者にならない)、というような「性教育」のプログラムを開発しようというもの。
 もちろん、幼い子どもにセックスのことを教えようと思っても、無理なことも多いだろう。だが、「相手が嫌がることはしない」というような、リプロダクティブ・ライツにかかわるようなことを学ぶにふさわしくない年齢というわけでもない。そして「イヤなことはイヤと主張する」力を身につけ、被害を回避する手段を身につけるのも、自分自身のリプロダクティブ・ライツの自覚・主張につながるはず。こういったことを早いうちから身につけさせ、合わせて基本的な道徳・倫理観ともしていく試みはもっと重視されてもいいのではないだろうか。
 「性教育」というと、先のエントリであげた新聞記事で問題にされていたようなところばかりに目が行きがちだが、もっと幅広い射程を持つものであろう。ここで述べたような、「自分の力(性的能力)をどう統制するか」という視点からも性教育は考えられるべきであると思う。

 以上2回、using_pleasureさんの問題提起を受けて、最近出席したシンポジウムの内容とからめながら「あなたはどんな性教育を望んでいるの?」という問いかけ(using_pleasureさんのエントリのタイトル)に答えてきた。何か答えたい、という切実な思いがエントリを読んでわたしのなかに生じたからだ。
 基本的な視座は、「何が必要とされているのか」についてはっきりとした現状認識の上に立って、提供されるべき教育の内容を考えていこうというところにおいた。もちろん内容ばかりではなく、方法や教材、段階的配置などについても考えなくてはならないし、もっといろんな側面を視野に入れなければならないはずだから、ここで述べてきたようなことだけでは十分とは言えないかもしれないが。

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*1:またこのほか、前回のレポートを通して触れたような、「言葉の獲得」も堀報告では強調されていた。自分の受けていることが、「DV」や「性被害」であり、「No!」と言ってよいものなのだと認識し、主張するための言葉を手にすることも、当然性教育のうちである。