読了:柳治男、『〈学級〉の歴史学』

 http://d.hatena.ne.jp/june_t/20050320/p1 の続き。

 いろいろと示唆的な本であった。後半では特に、教育制度の「ハードウェア」と「ソフトウェア」の峻別のところあたり。「学級」という「ハードウェア」にあたる部分を放置しておいて、教育言説がみな「ソフトウェア」の部分に集中しているが、それでは本質的な解決にならないかも知れない、というような論旨。つまり、ハードの部分であらかじめ「事前制御」という枷がかけられているのに、ソフトのところで「ゆとり」だの「つめこみ」だのとあれこれ言ってもダメなんでは、ということらしい。(らしいって。)


 もっとも、昨日、

 なお、ちらちら後半部分をながめてみると、前半ほど詳細には日本の教育史について検討されていない様子で、そこはちと残念。(ページ数でだいたい見当はついていたが。)

と書いたが、数えてみると20ページ弱。
 こ れ は あ ん ま り で な い か い 。orz