前言撤回、というか訂正

 日本女性学会会誌最新号の特集「ウーマンリブが拓いた地平」だが、千田論文を途中まで読んだところで「物足りない」と書いたものの、なんだか割り切れ無さを感じていたのだが、最後まで読み、もう一度読み返して自分の感覚を理解できた。
 今回の特集は昨年の6月に鳥取で行われたパネルディスカッションが元になっている。そこで議論されたのは、70年代リブをいわば原点として、どのようにその後の女性運動やフェミニズムを位置づけ、そして現在のあり方を検証するということだったようである。つまりは「リブそのもの」への言及は、本来それほど重要ではないということなのだが、その点を誤解していたということが、「物足りなさ」につながったようだ。
 田中美津さんの「基調講演」は、いかにも彼女らしく、リブについて語るのではなく、語りを通してリブを表現する、というようなものだった。ユーモアをまじえつつ、わかりやすくリブの「スタイル」を提示するという彼女の講演は、これはこれで聴き手は楽しめたはずだし、ある意味ディスカッションの「基調」として語られるのにはきわめてふさわしいものであったはずである。
 原田報告は、80年代以降の「女性に対する暴力」をめぐる運動の流れを整理しながら、運動の特徴を示すというものだが、年表などに紙面が割かれ、運動紹介自体はとても短い。わたしの「物足りなさ」は、もう一つはここに起因していたようである。ちなみに、田中美津の講演録を除くと、各論考は10ページ、400字詰め原稿用紙換算で30枚強というところであろう。そこからさらに3割が、註記と年表に割かれている。やや物足りなさを感じてもおかしくないだろう。また、運動研究への重要な批判などもあるのだが、自らが批判した部分を補うような「運動当事者の語り」を十分提供できているわけではない。
 千田報告は「女」というカテゴリー、あるいはカテゴリー化がもたらす危険を指摘しながら、個々の状況への分断を超えながらしかも「女」という一枚岩の存在に還元されてしまわないような、そうした連帯の方法をリブに学べないだろうか、と問題提起する。それはおそらく、さまざまな「女」の状況への分断が今日進行していることから来る閉塞感を打破しようという思いが根底にあるからだろう。
 菊地報告は、フェミニズムとその言説をめぐる現在の状況、すなわち(1)多様化する女性の状況とフェミニズムの専門分化に対して、共通の議論を形成する基盤が欠けていること、(2)80年代・90年代を通して、フェミニズムの担い手は学会を形成し、大学に職を得ていったが、その中で女性学の権威化が生じ、大学という制度自体が抱えている問題点を批判する準備ができていないままにそこに巻き込まれていってしまったこと、を指摘している。
 いずれの報告も、紙幅に限りはあるもののそれぞれ重要な問題提起をしているといえる。しかし、3つの報告は互いに必ずしも十分かみあったものではない、とパネル・ディスカッションのコーディネータ、秋山洋子は述べている。それをわたしも最初読んだ時に感じていて、何とはなしの違和感につながっていたようである。