「桜守姫秘聞」(清原なつの)

# asamioto 『花図鑑購入ありがとうございます(営業)。わー感想楽しみにしてますね。(後略)』

 麻美さんのご要望におこたえして、1篇についてだけ考えてみたいと思います。「桜守姫秘聞」。

花図鑑 1 (ハヤカワ文庫JA コミック文庫)

花図鑑 1 (ハヤカワ文庫JA コミック文庫)

 上記に収録。
 麻美さんのコメントがすでにあります。(http://d.hatena.ne.jp/asamioto/20050701#p1

ああもしかして、この話[引用者註:「ロストパラダイス文書」のこと]を読んだときからずっと連想していた「桜守姫秘聞」と逆の話なのかな。これ。桜守姫は、両親が連れてくる結婚相手をことごとく振り、セックスした人は全員殺していくんです。最後に出会った「良い感じのとりえの無い好青年」とセックスをしても「あ、この人も違う。どこか遠くからヨロコビがくる。でも私はそれをこの人にもたらされたくない。」と思って、やっぱり殺してしまう。いい人だったのに。泣きながら。
桜守姫は「自己決定権を行使」をして男を拒否してどんどん殺して桜の木の養分にしちゃうんですね。この話もループしているのですが、考えてみたら桜守姫のループは、「とある女一人の個人的な」ループなのね。

 どうでしょうね。またまたちょっぴり大胆に解釈してみました。


 桜守姫は「姫」という名の通り、前近代の、おそらく武士階級上層の家に生まれた跡継ぎの女性。彼女の婿取りをするべく、両親はさまざまな「選考」をして、体力・知力にすぐれた男と対面させる。父曰く、「あなたにヨロコビを教えてくれた者と結婚させる」。ここでいう「ヨロコビ」とはもちろん性の快楽のことである。
 彼女は選ばれた男たちと一夜をともにする。ところが、朝になると男たちは姿を消しており、侍女が親のところに来て言うには、「姫様のごきげんがとれないのを恥じて夜中に城をお逃げになりました。」*1
 次の男も、その次の男も、朝になる前に城から姿を消す。物語では最後に登場する「とりえのない青年」は、彼女は自分から「帰らないで」と引き留める。でも、夜に彼とセックスをした桜守姫は、(麻美さんが書いているように)殺してしまう。これまで夜逃げしていた男たちもたぶん彼と同じ目にあったのだろうということが、これでわかる。
 彼女は穴を掘り、桜の木の根元に殺した男を埋める。これまでと同じように。
 ところでこの物語は、現代という時代から「昔話」として語られ、そして結末でまた現代に帰ってくるという、「ロストパラダイス文書」と似た枠構造を持っている。ラストでは、桜守姫の話をして「自分は彼女の子孫」と言っていた女性は、連れの男性を殺してしまうことが示唆されている。そう、この女性は古老が言うように桜守姫の生まれ変わり、あるいはひょっとしたら姫自身、だったのだ。*2
 さて。
 桜の老木とともに生きる桜守姫は*3、やはりある種の「女性の状況」を象徴しているのではないかと考えられる。
 最後の男性と床をともにしながら、「でも他人がもたらしてくれるヨロコビはいや」「私は私ひとりで幸せでいたい」と心の中で彼女が語ることばは、自己愛(オートエロティシズム)の表現で、ぽつりとただ1本立っている桜の木の情景とも重なるところがある。だが彼女は同時に、誰かに愛されたいという漠然とした思いも持っている。「憧れ」に近いものではあるが。
 自分ひとりで十分な快楽を得つつ、しかしそれでも満たされないものを常に感じている桜守姫。「もっともっと」と留学帰りのインテリ男に新しい話をせがむ姿が、まさにそれを表現している。
 ここで不幸なのは、彼女は「婿取り」をして「家を継ぐ」のが当然とされていたことである。そうでさえなければ、桜守姫はこんなにも男を殺さなくてすんだはずだ。少なくとも性急に一夜限りで殺さなくてもよかっただろう。桜守姫は「愛」を求めつつ、与えられるものに満足できない。そして、「足るを知る」プロセスを踏んでいくことさえもできないのだ。
 桜守姫は、わたしには現代の、物質的には十分満ち足りており、さまざまな「快楽」(性の快楽とは限らない)を得ながら、どこかで常に何かさらに「愛されたい」「満たされたい」、あるいは「承認されたい」という欲求をおさえられない少女たちの姿を連想させる。この巻の「あとがき」ともいえる「左手のためのワープロ花図鑑狂想曲」で清原なつのは、「たぶんいままで私は一つの物語しか書いていません」「大人未満の少女たちのお話だけですね」と語っているが、「足るを知る」ことのできない桜守姫は、なかなか大人になれない現代の少女たちの似姿なのだろうか。
 もっとも、清原はそうした少女性をどこかにとどめて生きている女性たちを、必ずしも否定的に見ているわけではない。この巻でいえば「かえで物語」などでは、老いて子どもに帰るふたりがむしろ肯定的に描かれている。「桜守姫秘聞」でも、桜守姫(の生まれ変わりの女性)は、男性を殺すという、ある意味受動的とはいえるが、拒否権の発動によって自らの性のあり方を守ろうとし続ける。それは、単に自己愛を守るということだけでなく、一人の男性に自らのセクシュアリティをゆだねてしまうことの拒否であるとも言えるだろう。あるいは自己愛そのものへの執着が、自分のセクシュアリティを「結婚」というかたちで制限されることへの反発から生じているとも解釈しうる。
 ラストでは、もう「婿取り」を強制されることもないのに、「栄養つけなきゃね」と冷静に判断して、連れの男を殺すことまでする。以前から殺した男の始末も自分でするというたくましさを備えていた姫は、さらにたくましくなっているようだ。またこの時の彼女は、「婿取り」の圧力から解放されたためか、男性ともしばしの継続的な関係を保つこともできているようでもある。(殺される男性とは、どうもこの時だけの関係ではないようだ。)
 ひょっとしたら彼女は、いくつもの生を生きていく中で(あるいは長い年月を生きることで)、満たされることはないままに、その満たされなさと同居するすべを身につけたのかも知れない。いかなるプロセスをへて彼女がそうなったのかは描かれていない。何かがあったのか、それとも単に「家を継ぐ」ことがなくなったということだけが理由なのか。繰り返し生を生きる彼女は、永遠に満たされないさだめにとらえられているとも言えるし、彼女は彼女なりに充実した生(と性)を生きているともとれる。桜守姫にとっての救いは、「あった」とも、「なかった」とも言えそうだ。そんな両義性を秘めていると、読み終えて思わせる物語である。


もちろんわたしは、姫の人生けっこういいな、と思うけどね。ツボってのはそういうこと。(次々男を相手にしないといけないのはイヤだけど。)

■追記

 読みながら、「これ、男はあんましよくわからないというか、気に入らないんじゃないかな」と思っていたのだが、麻美さん(http://d.hatena.ne.jp/asamioto/20050715/p1)によれば、やはりそういう反応も多いらしい。近づくと殺されるわけだし、桜守姫にとって男性は必ずしも必要なものではないので、しょうがないだろうけど。

*1:つーか、この最初の男の名前、「野村宏伸之進」ってなに。

*2:あのー、322ページ「引っ越し」の字が違うんですけど。

*3:なんだかヨーロッパの妖精物語に登場するドリアード(木の精)にも似ている。