デートDVの記事

共同通信配信)

彼氏が彼女を殴る。夫婦間のドメスティックバイオレンス(DV)に比べてまだ問題視される機会が少ないが、「デートDV」と呼ばれる恋人間の暴力が広がっている。悩みを抱える10代の少女は多く、専門家が講座を開いて防止に努める動きも出ている。
 長崎市NPO法人「DV防止ながさき」が一昨年、長崎県内の女子高校生1332人を対象にした調査で、10%に当たる139人がデートDVの被害体験があると答えた。 被害者のうち、3分の1はキスやセックスなど性的強要で、殴るけるの暴力も3分の1に上った(複数回答)。(以下略)

 一昨年ぐらいから報道も増えてきたように思いますが、デートDV。単にDV(親密な関係における暴力)と言われるものもそうですが、潜在的には存在したものが、概念(かたち)を与えられることで目に見えるようになるという典型例ですね。だから、「広がっている」というよりは「気づかれるようになった」ということでしょう。
 高校の先生から聞いたのですが、バスの中で女子高校生同士で、「なんかさあ、カレによく殴られるんだよね。」「え、それってひどくね?」「うん。でもこれって愛されてるってことだよね?」……というような会話がされているのを聞いたことがあるとか。暴力なんだけど、暴力として認識されていない。「愛があるから」と翻訳されている。DVも同じでしょうけど。

 「デートDV」と聞いて「デートレイプ」を思い出した。加害者が恋人や知り合いであり、デート中に起こり、凶器や暴力による脅しをともなわないレイプが「デートレイプ」である。「デートレイプ」が一般的な「レイプ」ではとらえきれない側面をとらえているのとは違い、「デートDV」概念の意義がよくわからない。もともとはアメリカで使われている言葉のようですが・・・。

 まああまり違いはないと思うのですが、一つはまだ年齢が低いうちからすでにDVは始まっている(特に十代で)ということを強調したいためか、と思います。
 DVを考える際には、(多くの場合加害者である)男性側が暴力――DVを考える際にはかなり広い概念でとらえていますが――を自分がふるっている・ふるいたくなることに自覚的になるべきとされていますが、もちろん(多くの場合被害者である)女性も「これば暴力であって「No」と言っていいものなのだということはやはり理解する必要があります。支配するために暴力をふるいたくなる、また暴力を受けても堪え忍んでしまう、そういう心理構造を若いうちから身につけてしまうことの危険性を強調することで、両方合わせて将来の被害者・加害者を作らないようにする、ということですね。
 もう一つ、未成年が被害者・加害者である場合は、周囲のおとなにも対応する責任があります。ところが教員や親にあまり自覚がない。「大人の側が、子ども同士のこと、と深刻に受け止めていない傾向がある」(中里見博*1らしいです。
 そうすると、子どもや生徒がぽろっともらしたひとこととかを聞き逃したり、逆にがまんするようにアドバイスしてしまったりしかねない。だから、本人だけでなく周囲もデートDVについては、きちんと認識しておかなくてはいけない、ということでしょうね。

 こんなのも。
 わたしのゼミの卒業生とかも制作にかかわっております。