ダイセンセイがまたなにか言ってます。

 マイミクのかたの日記で知ったのですが。
 ダイセンセイがまたなにか言ってます


このテンプレ通りだと「ダイセンセイ」はわたしになってしまいますが、そのへんはまあよろしく。

 結論は要するに、『動物のお医者さん』の漆原教授や『のだめ』のシュトレーゼマンセンセイのような「勝手気ままな人」に学生・院生や周囲の人々がふりまわされるマンガが人気を集めている、オレもふりまわしたいということなんだと思います。(実際どうであるかは別。)
 わたしに実害がないなら別にそれでいっこうにかまわないのですが、そこまでのところは「?」。まあちょっと聞いてくださいよ。


「三日やったら止められない」と言われた大学教員だが、遠からず「デモシカ教員」が主流となるであろう。
でも、これは今に始まったことではない。
現実に、1960年代までは「大学院に行く人」というのは「大学院に行くくらいしか能がない」変わり者であり、大学教員の給与も社会的地位も相対的にはかなり低いものであった。

 SSM調査の職業威信スコアの推移を見てみましょう。

 「大学教授」の威信スコアは、1955年、64年(65年?)、75年、95年でそれぞれ、91、83、84、84です。職業威信スコアは100に近ければ高いということなので、「大学教授」が一貫して高いスコアを保っていることがわかります。
 まずはここがむちゃくちゃデタラメだということです。なんでこうなるのか。


1966年に高校の同期だった新井啓右くんがある日私に「学者になるのは止めたよ」と告げたことがあった。「どうして?」と訊いたら、「だって給料信じられないくらい安いんだ」と言っていた。
新井くんの家は「華麗なる一族」であり、一族に学者はいない。

 「華麗なる一族」の方から見れば、大学のセンセイなんて薄給です。ひょっとしたら、ほんとうに給料安かったかも知れません。国立大の教員なんてしょせん公務員だしな。
 そうか、つまりダイセンセイは、自分の周辺にいる出身階層が高い人たちの評価から、先ほどのようなケツロンへと到ったわけなのですね。「相対的」ってそういうことか。そりゃあ、評価も偏りますよね。気づいてないのが致命的。


そういう風潮が一変して、大学教授がいきなり「あこがれの職業」になったのは、1960年代半ばから始まった「駅弁大学」(@大宅壮一)創成のせいである。

 たぶん「創成」は「叢生」の間違いだと思いますが、教養がおありのダイセンセイのことですから勘違いとか覚え間違いではありません。きっと単純な変換ミスです。てゆーか、ほんとにそんなに「あこがれの職業」になったの?
 大学教員の給与額が需給原理で決まるかのような記述も萎え。んなことが起こるわけないじゃん。ちょっと考えればわかるだろうに。ここ、データが見つからなかったのでわたしも確かなことはいえないけど、実は「給与が上がった」のは高度成長期だったからなんじゃないの?

 ……とここまで書いてきて、あまりの不毛さに疲れました。最初はmixiに書いてたんだけど、書き直してもやっぱ力尽きるな。
 あとね、「フランス文学者が売れた」って、その人たちはフランス文学を教える人としてではなくて、フランス語の(語学の)先生として売れたのだよ、たつるくん。ここを混同しないように。

 ということで、賢明な諸氏は、この話を社会的な真実の描写としてでなく、あくまでも「中の人の思い出話」(この人にはこう感じられたんだね、程度)として読むべし。