パラパラする・『滝山コミューン』

滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四

 1974年当時原さんは滝山団地の6-2-10号棟に住んでらしたようですが、同じ時にわたしは通りをはさんではすむかいの、6-3-7号棟に住んでいたのでした。
 ただしわたしは、その前に2-5-6号棟(滝山第二団地)にいて、ここは第九小学校の学区だったため、そのあとで6-3-7に引っ越したのちも越境して九小に通っており、そばに住んでいたにもかかわらず、原さんの本で出てくる第七小には行ってなかったのです。だから七小の雰囲気とか、全然わかりません。あしからず。
 九小にはこういう教育実践をしてた先生とかいたんだろうか。わたしが教わった先生は「オールド・リベラル」という感じではあったけど。いじめとかはしっかりあって、そういう意味で非常に「現代的」な学校でした。でも校内暴力はなかったかも。
 通ってた子どもの家庭の等質性というのは、かなり高かったような気がします。団地の子が非常に多かったし。素地は似ていたけど、というところかな。
 クラスに班を作って、恒常的に競わせるというのは、その後引っ越した先の学校(狭山市立狭山台北小学校)で経験しましたが。あれはけっこうストレスになっていたかも。後から考えると。
 ちなみに本書冒頭で述べられている新旧住民の対立は、東久留米市全体では1990年まで*1引き継がれて、この年1月の市長選で顕在化します。稲葉三千男氏(東京大学名誉教授、故人)が市長に当選した選挙です。マスメディアは「保革対立」という構図(稲葉氏が社共の推薦を受けていたため)で報道したにもかかわらず、実質的な対立構造は「旧住民対新住民」というものでした。なんで詳しいかというと、稲葉氏を支持する運動体を2度にわたって調査したからなんですが。(笑)

*1:おそらくそれ以降も。