読了なう

 今日は読んじゃ寝、読んじゃ寝、していたかも。疲れてたので。(この本だけではありませんが。)

Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流 (新書y)

Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流 (新書y)

 読んでる途中でメモをTwitterに流してたら、津田大介さんからフォローされたよ。(笑)

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■メモのまとめ、のようななにか

 津田大介、『Twitter社会論』は、新しいWebサービスの可能性と問題点を、比較的バランスよくおさえた本。サービスの利用方法、ハウツーにに焦点が当てられているというよりは、むしろ社会的な文脈や意味を中心に記述されている。
 ところで、そもそも「電子ネットワーク」からしてそうだったが、電子メールとか、WWWとか、掲示板とか、最近だとブログとかSNSとかTwitterだとか、新しい技術やサービスが出てくるたびに、やたらと「革命」とか「これで××が変わる」とかいう文字やフレーズが騒がしく出回るということを、わたしたちは幾度となく経験してきた。
 たしかに、それぞれのサービスはそれぞれの特性に合わせて、何らかの力を持ち、その力によってわたしたち(の一部)の生活の中に位置を占めることにはなった。ブログなどは、わたしたちの生活や思考をかなり断片的に切り取り、表現することに特化したメディアだといえる。それまでのWeb作成とブログが決定的に異なったのは、デザインに気を払うことと、コンテンツの中身を作成することを完全に分けてしまったという、その点にある。作成者は書きたいことに集中することができ、そのときそのときの関心の所在のありようが、一つ一つの記事に反映される。このことは、「WWWで情報を発信すること」の意味を、確かにかなり変えたことは間違いない。
 Twitterの場合はまず、個人が受け取る情報の流れを、自分自身で編集することができるということがまずあるだろう。自分が目にするタイムラインを、フォロワーの選択やTwitterクライアントの設定によって、かなり自由に変更することができるのだ(Tumblrなど、類似のサービスとある程度共通する部分がある)。これについては、深く言及しない。
 津田さんがTwitterの特性としてこの本で強調しているのは、自分の思考をより「まとまらない」形で“つぶやく”ことだ(pp.55-56)。

自分の思考をあいまいなまま「垂れ流す」ことで、自分のフォロワーがそれに触発されて関連する話を始めたり、あるつぶやきをきっかけに見ず知らずの人と延々議論が始まったり(後略)

 こうしたつながりも、フォロワー/フォローイングの場合はあらかじめ決められており、期間の長さはそれぞれとしても比較的安定しているが、リアルタイム検索やタグがその瞬間や一回限りの結びつきを作り出すこともある。ある種それは、(いささか古くて恐縮だが)ドゥルーズ=ガタリのいうリゾーム的な欲望の流れといいうるだろう。非常に創発的な側面といえる。

 ただし、Twitterは既存の価値体系を増幅する側面もある。
 第2章で政府の審議会の「Twitter中継」の話が出てくる。実際先日の「仕分け作業」でも、Twitterでタグ付けがされて中継がおこなわれ、かなり多くのユーザの注目を集めた。もちろん映像や音声も速報性においては引けを取らないはずだが、文字で流れる情報であるということは、また別の意味を持つ。
 たしかに、おいしいネタを速報性がある媒体で伝えることは、よりおいしくネタをいただくコツである。だが、「仕分け作業」や政府の審議会の中継が関心を集めるのは、それが国レベルのもので、もともと世間の関心が高い、ということが大きい。つまり、情報の価値体系そのものを変える力を、Twitterがそこで発揮しているわけでは必ずしもないということだ。
 逆に、区市町村の議会や審議会などについて中継してみても、フォロワー数や地域のTwitterユーザ数にもよるが、その時点で議論の流れを目にしてくれる人は、あまり多くはなさそうである。おそらく、そうした狭い地域についての“つぶやき”に価値を持たせるためには、単に「活きのよさ」だけでは足りない。地域での話題に関して、津田さんがいうところの「市民記者」が力を発揮するには、ただ「Tsudaる」のではなくて、もっといろんな事前・事後の「手間」が要求されるということである。
 脱線するが、この点について少し補足しておくと、地方議会や審議会で扱われている内容(たとえば産廃処理場がある村に作られる)が、社会的に大きな意味を持つ(環境や「都市-農村」というような、より一般的なテーマ)ということを、フォロワーやほかのサービスを通じて広めたり、事前の告知、事後の報告、その他、いろんな工夫が必要になってくるだろう。亡き鈴木芳樹id:yskszk)のことばを使えば、Twitterというきわめて「ファスト」なサービスを、より「スロー」なサービスやサービスの活用と接続していくことが必要だということだ。

 余計なことをいろいろ書いたが、「Tsudaる」技術についてのTipsは、さまざまに参考になることも多い。話し言葉、特にその場で考えて話されていることの要約の仕方として、参考になるのだ。一つだけ紹介しておこう。
 学生によく、「お役所などの報告書は、『ただし』のあとが超重要」などとアドバイスすることがある。建前的なことや通り一遍の一般的な話をしたあとで、「ただし、こういうこともあるから」とか、本音や、問題点などが付け加わることが多いからだ。
 似たような指摘が、第2章でもされている(pp.76-77)。「つまり」「要するに」を待て、という部分だ。あらかじめ草稿を用意している場合はこの限りではないが、質問などに答えるとき、話しながら考えていたりすると、整理のために、こういうことばに続けて、それまでの発言をまとめたり、おかしな点は修正したりすることがままある。そのあたりを経験から指摘してくれている。

 必読、とはいわないが、Twitterに関心がある人なら、目を通しておいて損はない1冊であるといえるだろう。