読了

 2004年の作品で、出版された少しあとあたりに買ったはずなのだが(初版で持ってる)、なぜか今まで読んでいなかった。葛西伸哉さんの作品は、NIFTY-Serveの会議室でご本人と知り合って以来、断続的に追い続けている。葛西さんは青森県生まれで、しばしば東北地方が物語の舞台になる。今回も青森県が舞台である。
 初期作品には「演技」へのこだわりが感じられ、それは本作の袖に書かれている「月に一度ほどの観劇がエネルギー」という記述にもつながっているのだろうが、最近は「ポピュラーカルチャーに対するメタな視線」が意識されているように思う。
 もともと『石のハートのアクトレス』(1998年)でも、アンドロイドの一子が、「眼鏡をかけた病弱な文学少女」をさりげなく演じる(つまり「演技」でもある)シーンがあった。これなどは、さまざまな作品の中の女性イメージを反復しながら、パロディ化するという効果を持っていた。『キャラふる♪』(2008年)では、漫画やアニメのキャラクター(登場人物)たちのふるさとが舞台となっており――作品デビューの機会が与えられると、汽車で〈現実界〉へ旅立つ――、そこに主人公がまぎれこむ。なかなかデビューできないキャラは、「インパクトが弱い」だったり、「安直」だったり、「需要がない」だったり……。その「いまいち」な点の描写が、1巻では中心だ。「いまいち」さの実例の登場は、マンガ家志望の主人公に、自分自身のいたらなさを実感させるに十分である。彼自身のキャラらしき存在にも、「キャラふる」で出会ったからだ。*1
 本作『世界が終わる場所へ』では、「セカイ系」が対象化される。ある日突然空から、異生物らしき〈銀の樹〉が降ってくる。「あれはあたしを殺しに来たの」と平然として言い放つ、一つ年上の、美しく聡明ではあるが名もない高校生の「彼女」*2と、〈銀の樹〉が降り立った場所まで、彼女を自分の後ろに乗せて自転車で送り届けようとする、中学三年生の「僕」の物語だ。
 意図も判然としないままに周囲にあるものを取って食らう異生物の出現は、ある意味世界を揺るがすできごとである。そのできごとが、まさに「自分を殺すためだけ」に起きたものだというのは、「セカイ系」における設定のパロディである。だがもちろん、「家族と一緒に事故で死ぬはずだったのに、自分だけが生き残ってしまった。歯車が狂った運命を修正しに来たのが、あの〈銀の樹〉なのだ」と、いくら「彼女」が主張しても、それはただの偶然でしかない。「目の前で起きている事に、都合のいい解釈くっつけてる」(p.233)だけである。
 「セカイ系」を特徴づけるのは、「彼女」と「僕」によって世界の運命が決まる、という「解釈」である。「社会を切り捨てている」とも、「巨大化したシステムと個人の卑小さとのギャップに悩む時代の物語」などとも評される。ただ、「セカイ系」を対象化した葛西のこの作品では(というか、彼の作品全般に共通するモチーフだと思うのだけど)、世界に対する無力感を回避するのではなく、無力を前提とした上で、個人の些細な選択や決断を重要なものとして評価しようとする姿勢が顕著である。
 同時に、自己の主張をきちんとしたエンタメの枠の中におさめてしまう、作家としての基本的な力量の高さも、葛西の長所であろう。いささか設定が地味なためか、広範な人気にはつながらないが、最新作『インポッシブル・ハイスクール』(2009年)がすぐ版元品切れになったところを見ると、だんだんと読者を獲得してきているようではある。息長い活躍を期待したい。

 DVDから観た。心葉の声は入野自由なのね……。

(162)(163)

*1:なお詳述はしないが、『キャラふる♪2』のメタ度はけっこう高い。

*2:ちなみに、「彼女」と主人公の「僕」の名前は、作中には書かれていない。