訃報

 同僚の栗原るみさん(日本近代経済史)が、1日朝に亡くなられました。60歳。
 栗原さんは同じ講座で「地域史」を担当されており、また研究科は違いますが、大学院の先輩でもありました。
 5年前から闘病生活を続けていらっしゃいましたが、ついに力尽きたのか、というくらい、最期はあわただしく世を去られました。
 もともと、自由闊達を絵に描いて動かしたらこうなるのではという感じの方で、いかにして彼女の度肝を抜くような言動をプラス方面に回収していくかということが、周囲の人間に課せられた課題でもありました。
 経済史研究の成果として、2000年頃に2冊単著を出されましたが、その後は日本近現代史ジェンダーを軸に再構成し直す取り組みをされていました。残念ながら未完ということになってしまいましたが。
 今日がお別れの会。ご本人の意向で、無宗教でとり行われました。
 お役目の学長はともかく、弔辞は、大学院の指導教官であった中村政則さん、現大学院生、地域団体の「ふくしま女性フォーラム」で長年ともに活動してきた女性、そして同僚を代表してわたしから述べさせていただきました。

 以下はわたしの弔辞です。原文のままではなく、できるだけ読んだとおりに起こしました。アドリブやや多め。

 栗原さん、いえ、るみさん。
 あれからまだ、たったふた月なんですね。自分の足で歩みよってきたあなたと、最後に言葉をかわした日から。
 病気と分かってそろそろ5年になるけど、もうちょっとたてば、それはあっという間に10年になると思っていたのに。「そうしたら退職だよね。退職記念パーティでは、わたしがスピーチするから」。そう言い続けてきたのに。こんな形で、別のお別れの言葉を、あなたに向かって、語りかけなければいけないなんて。

 職場をともにして15年あまり。わたしの採用は、実はあなたにとっては不本意だったのかも知れません。最初に廊下をはさんで斜め向かいにあるあなたの研究室を訪ねたとき、ほとんど開口一番に、こう言われました。「ほんとは女の人を採りたかったのよねえ」。(あまり上手に口まねできませんでした、すいません。)今でも覚えています。
 でも、不思議と腹は立ちませんでした。そんな率直さが、あなたの一番の魅力だったのだと思います。

 遠慮のないそのひとことには、あなたのいろんな思いがこもっていたのだと、今は分かります。仲間がほしい、自分と同じような立場の人に、近くにいてほしい。なかなか人を頼ることができなかったあなたが、思わず口にした、意図しなかった「弱音」だったのだと思います。

 でもね、るみさん。
 そんなふうな、率直さも、弱さも全部含めて、周りの人はあなたを受けとめていたんですよ。それが、少しでも伝わっていればいいのだけど。

 先週水曜日に、あなたのお宅に伺いました。
 「もうしゃべるのもむずかしいらしいんですよ。」
 薬で眠っているあなたを見ている横で、唯史さんが言いました。
 ほんの数日前まで、以前と変わりなく、誰にでも議論をしかけていたとも聞きました。
 ひょっとしたら。
 自由に、率直に語り、熱を込めて書き、信念を持って行動していたあなたは、自分らしくいられなくなってしまったとき、この世を去ることを選んだのでしょうか。
 一研究者として……いえ、それはあなたの生き方そのものだったのですね。

 いくらでも話したいことはあります。でも、今日はここまでにしましょう。これまでも、ふらっと研究室を訪れては長話をしていました。それと同じように、たまにはあなたの思い出を訪ねることをお許しください。
 今は、心安らかにおやすみください。

 最初のほうはだいぶ声が震えていたかと思います。
 栗原さんの口まね(「ほんとは〜」)をしたところで、後ろのほうで笑いが生じたのは計算外でした……。涙をこらえていたので、あまり上手にできなかったのですが。

■追記

 お父さまは、栗原百寿さんです。(一部にはこういったほうが通りがいいのかも。)