被災中

 東北地震福島市も揺れました。いえ、揺れています。
 11日14時46分には、大学の研究室にいたのですが、大きな揺れに驚いて、とりあえず非常階段のすぐ脇の部屋なので扉を開けておこうと部屋を出たら、同じ階で仕事をしていた学会事務の方と、仕事できていた卒業生(市内勤務)が飛び出してきて階段を駆け下りていったので、これは自分も行くべきかと後を追って下へ降りました。
 地鳴りがして、横に大きく揺れたかと思うと縦方向の衝撃があり、それが長く続いて、いったいどうなるんだろうと思いながら研究室のある建物を見ていました。幸い倒壊や窓ガラスが割れたということはなく(何かものが落ちる音がどこかでしましたが、たいしたことはなかったもよう)、非常ベルも別の建物で鳴っていたのですが火災でもなく、お金をかけて最近耐震工事をしただけのことはあるなあと感心。*1
 しかし、長い揺れでした。そもそも、5階から降りてきて、建物の揺れを眺めていて、まだ揺れがおさまっていないという、それだけの時間、地面が揺れていたということです。数分間はあったと思います。*2
 そうこうするうちに、だんだんと揺れは小さくなってきて、ほかの建物を含めて敷地の中にいた人が集まってきました。声を掛け合って外に出たらしき人たちもいました。上着もなく寒そうな人もいましたし、なぜかティッシュの箱を持っていた人も……。教職員・学生の他、入試会場の下見に来た人もいたみたいです。
 そのあと、管理職の招集がかかったのですが、うちの学類は執行部がほぼ丸ごと関西出張の最中で、しょうがなくはしっこのほうに立っていました。
 揺れが少しおさまったのを見計らって、一度荷物を取りに研究室に戻ったのですが、書籍や書類が散乱して、まるでプールに水をためた(ただし紙の水ね)みたいになっていました。わたしはモーセじゃないので、別にその水が目の前で分かれてくれるわけでもなく、書籍・書類をふんづけて机までいき、PCの電源を落として、iPadとカバンを拾ってふたたび外へ。
 また、とにかく入試についても決めなければいけないので、入試委員として呼ばれて、事務棟へ。こんな状態ではもちろん後期入試はできない、ということだけははっきりしていたので、「12日の入試はとりやめ、どうするかは後日」ということを決定。
 長くなりそうなので、ちょっと切ります。

■11日帰路

 会議は終わったのですが、もちろん電車も停まっているし、車もないし、ということで、歩いて帰宅することにしました。下り坂ですが10kmほどの行程。折悪しく雪も舞い始めていました。
 そんな中を、同じ入試委員(家も近く)の同僚と2人で、4号バイパスをたどって伏拝の坂へ。バイパスの路面はこんな感じでした。

 ところどころで亀裂。そして、舗装面がめくれあがっています。
 交差点で県警の人が交通整理をしていたので、何かと思ったら、崖が崩れ、さらにガードレールが大きく壊れていました。

 少しカラーバランスをいじっています。路面の下から土が抜けているのが見えるでしょうか。道路の上のがけの土の色も違いますね。
 この事故でバイパスは不通になり、12日現在も通行止めになっています。ということで、わたしたちも旧道をくだって南福島駅方面へ。途中、瓦が落ちた家や、傾きかけた塀などをいくつか見ました。一緒に歩いていた同僚は民法の人だったので、「ブロック塀は無過失責任で……」というような賠償に関する解説をまじえてくれたため、退屈しないですみました。
 南福島駅近くでは、道路に面した酒屋さんが、ドアのガラスは割れるわ、中の商品の瓶は割れるわとひどいありさまでした。ここは飛露喜や久保田なども置いてあって、日本酒通には知られた店だったのですが、被害は大きかったようです。
 そのまま福島市街地へ歩いて行くと、沿道の建物で電気がついていないものが目につくようになりました。日が落ちて暗くなってきたせいもあると思います。福島民友の建物も真っ暗でした。記者さんたちはどこで仕事をされていたんでしょう。
 信号機も消えているものがいくつもありました。交差点では県警の方も交通整理をしていましたが、明らかに一般市民という人もいました。自発的にやってらしたんでしょうね。
 駅の方も真っ暗に見えました。同行していた同僚は、駅のそばに自転車を停めているので、途中で別れて、そちらへいく予定だったのですが、「危ないからやめたほうがいいんじゃない?」ととめました。犯罪云々ということではなく(それならわたしが同行すれば少しは危険が減るわけで)、足下や周囲の状況が確認できないからです。
 荒川に架かる橋を渡るのも、ちょっと不安でした。余震で崩れたりしないかと。
 ただ、川を渡って、県庁の横を抜けたあたりで、周りの様子がわかってきました。電気がちゃんとつながってるところもありました。また、停電しているビルの向こう側がちょうど駅南に東西に延びる道路(平和通り)で、そこは比較的明るく、人通りもあり、安全は確保できそうでした。
 ここで自転車を取りに行く同僚と別れ、彼は駅方向へ。わたしは自宅方面に。もうだいぶくたびれておりました。

■11日帰宅〜その日の夜

 そのまま買い物にいこうかとも思ったのですが、疲れてもいたし、荷物を下ろしてからのほうがよさそうだったので、まず自宅へ。
 近くまで来たとき、灯油のにおいがしていて、ちょっと怖かったのですが、思い切って部屋へ入りました。中は案の定の状態。たしかツイッターには「混沌の神が支配する領域」とか書いた記憶が。積んであった本の山は崩れ、新聞紙が散乱し、台所では、冷蔵庫の上に置いてあった電子レンジが床に転がっていました。洋服ダンスの扉が開き、そして、デスクトップPC2台とプリンタとスキャナは、デスクの向こう側に落ちていて、確定申告のために準備しておいてあった書類も行方不明。隅の方に積んであったDVDは、なぜか部屋の反対のふすまにぶつかってころがった形になっていました。
 ただ奇跡的に、食器もそのほかのガラスも割れておらず、素足では危険という状態ではありませんでした。ピーター・ラビットのマグカップ(子どもの頃から使ってるお気に入り)が、ちょっと欠けたぐらい。本棚の本もあまり落ちていませんでした。
 整頓しても、余震でまた崩れるかも知れないので、とりあえずすべてそのままにして、荷物を玄関に置き、財布と携帯だけ持って近くのスーパーへ行くことに。マイバッグとか、まったく思いつきもせず、それより一緒に帰ってきた同僚が気になったので、彼の家があると聞いたあたりに行ってみることに。古い家で地震でどうなっているか……と言ってたからです。
 うろうろしてたら、曲がり角のところで出会いました。話を聞いてみると、幸いにして家そのものは何も問題がなかったとか。ただ、やはり家の中は別のようでした。
 でもまあ、路頭に迷うようなこともなかった訳なので、「よかったね」と言って、一緒にスーパーで買い物をして、次の日の約束(入試委員は朝8時集合)をして再び別れました。
 わたしが買ったのは、牛乳とパン、レタス、ハム。きゅうりやトマトは置いてませんでした。完全にサンドイッチ志向です。あと、おやつ用にチョコ。
 ささっと作ったサンドイッチと牛乳で夕食を済ませ、その夜をどう過ごすかを考えました。
 体は休めた方がいい。だがいつ次の地震が来るか分からないので、服は着ているべき。いろいろ考えて、服はそのまま、ダウンジャケットとバッグを玄関に置き、ケータイは持って布団に入ろうという結論に。その前に玄関周りだけは、床に散った新聞を片付け、秩序を回復しておきましたが。
 布団の中でも、ノートPCでツイッターを見たりしながら、あれこれ情報を集めていたら、やはり断水の可能性もあるということで、風呂桶と鍋、やかんなどに水をためておくことにしました。お風呂に入るべきかとも思ったのですが、ここで服を脱いで裸になると、地震がきたときにどうなるか――と考えてしまい、決心がつかず。
 しかし布団に横になっても、5分とか10分とかの間隔で揺れがくるので、結局どうしても眠りに落ちるということができませんでした。明け方に少しうとうとしましたが、たぶん眠っていたのは1時間ぐらいだったと思います。

*1:というのは、ふりかえっての感想です――3/17追記。

*2:この段落、3/17追加。