総合科目:農家女性の労働の現状

 先週21日は農家女性の労働をめぐる理論篇。現代日本における農村の女性労働は、「伝統的家父長制」と呼ばれる前近代的社会関係(フェミニズムでいう家父長制の概念とは異なる)の残存や、「伝統的家父長制」の崩壊=「近代家族」化というフレームではなく、家族関係に基盤を置いた、農業労働全般におけるジェンダー分業(性別職務分離)という視点からとらえられなければならない――という話。
 今週は現状篇。ということで、飯舘村農業委員会会長の佐野ハツノさんにお話をうかがった。(以下、できるだけ註を除いては佐野さんの言葉を使って記述する。)
 佐野さんは1970年に結婚して飯舘へ。中通り福島市浜通りの原町市にはさまれた、人口6,000人程度の山間の村である。当初は「いい嫁をしていた」とご自分でおっしゃるような生活だったらしい。それが飯舘村の「若妻の翼」*1事業にかかわって以来、そのスローガン「女が変わって、男が変わり、村が変わる」の意味がわかり始めたという。80年代も終わりの頃の話だ。
 いわゆる三世代同居の家であったが、舅は体が悪く、「口は出すが手は出さない」というタイプ。さらに葉タバコの栽培もまかされていた。自分が主体となってタバコ栽培をやっても、なぜか売り上げが入金されるのは夫の名義の口座。これはおかしいのでは――と思えたことが、出発点であった。
 自分で働いたものだから、その成果は自分の手に。そのためには、自分がタバコ栽培の部門経営者になる必要がある、ということで、農協に登録しようとしたのだが、それに対して地域から猛反発を受けてつぶされた。「それが農村の女の現実だったのだ。」と佐野さんは語る。まだまだ女を一人前とは見なさない、それが村社会である。農作業は基本的に無報酬。女性が主体となって農業をやっていても、「収入」は夫の名義である。
 だが、周囲にいろいろと手を回して、翌年から「経営者」に(1993年)。「それによって、ただ働いているだけという状態から、働くことにやりがいを見いだせるようになった。」という。品質も向上したし、それによって周囲の評価も得た。舅にこづかいを渡して、「息子はオレに金をくれたことなんか一度もないのに、嫁はくれるのか。」と感激されたともいう。人手不足を補うためにパートを雇いながら、栽培面積を拡大し、最終的には約2倍に。*2それにともなって、当然収入も増えた。
 1996年から村の農業委員となる。そのためには選挙で選ばれることが必要だった。佐野さんの夫が、妻を農業委員にどうだろうか、と集落でもらしたところ、周囲はやはり「嫁が出るなんて、どういうことだ。」という態度だったそうだ。しかし、選挙の時には舅も活動してくれた。こうした支えがあって*3、みごと当選。このときにはもう1人女性が農業委員になっている。(ちなみに現在は3人。)
 農業委員の仕事があまり地域で知られていないことを知り、がくぜんとして「寸劇」で広報活動をしたり、農村で生きることは「生活」することだという観点から、いろんな学習活動に取り組んだり、家族経営協定の締結に尽力したりと、農業委員としての佐野さんの活動は「革新的」なものであったようだ。2002年からは会長になった。この時もなお、女性を会長にしたら笑われる」「(村議会議員になっていた)夫と妻が議会であっちとこっち*4で顔をつきあわすなんて。」というような声が周囲から聞かれたそうだ。しかしその声を聞いて逆に佐野さんは「やる気になった」。現在農業委員としては三期目。56歳になった。だが、まだ「これからの夢」はつきないらしい。

講義を終えて

 周囲の反対を一つ一つおしのけながら、自分の活動の範囲を広げてきた佐野さんだが、反対が今なおさまざまな形で存在するということは見逃せない。家族経営協定を結んでいるのも村内でまだ4組だという。農家を含む自営業層での家族労働者は「賃金」という概念がないところで労働をしていることが多い。自分の裁量で使える「報酬」を手にしていないことは、単に「お金」の問題であるというだけではなく、社会的活動の範囲を限定されることにもつながってしまう。社会的な評価を受けているという実感にも乏しい。たとえ日本的な「近代家族」規範の中で妻が家計の管理を実際には行なっていても、あるいは彼女が働いていても、彼女に対する社会的評価は、佐野さんに対する周囲の反応から分かるとおり、そのままではほとんどゼロに等しいものだということだ。
 この状況を打破するのに、佐野さんは「経営者」としての自己の地位を確立する、という方途を選んだ。もちろんこれは彼女が農業に従事していたからこそである。賃金労働者には別の道があるはずだ。
 「経営者」としての地位を確立する、ということは、他の農業経営者と同等の地位につくということだ。しかしそこでは「内実」もまた問われることになる。経営に失敗した時の責任も同等にとらなくてはならない。(当たり前のことだが。)一人前の経営者であり続けるためには、農業知識や経営手腕、その他の知識や実践経験が必要になる。おそらく佐野さんの場合には、(語られることはなかったが)結婚してから20年以上の月日の間に、必要な知識の習得や実践を重ねていたということだろう。
 彼女のたどってきた道のりを、農村で生活する女性のすべてがたどることは、おそらく容易ではない。(もちろん農業委員になる・ならないは別にしてだ。)話の中には出てこなかったが、飯舘の他の女性、特に若い世代(20〜30代)の女性の状況はどうなのだろうかとも思う。彼女の活躍がトークニズムのような形で扱われたり、かえって下の世代から背を向けられるようなことがあってはならない。村の中での「後継者」「追随者」づくりと、より多くの階層の女性に開かれた回路づくりに向けて、村内での取り組みが行なわれることが必要であるだろう。

*1:村内の女性から希望者を募り、海外へ研修のために派遣する飯舘村の制度。これまで5回行なわれている。

*2:この背景には、農村人口の高齢化による遊休農地の増加がある。あまった土地はたくさんあるわけだ。さらに、女性労働力をパートという形で低賃金で雇用するという「資本の戦略」を、自らが実行しているということもある。個人のがんばりというだけではなく、いくつもの社会的条件によって支えられたものといえる。

*3:つまり男性中心の地域社会に働きかける媒介者が存在したということだ。もちろんそのほか、首長である菅野典男氏の政策の重点が、地域におけるジェンダー平等を一つの柱にしていることも見逃せない。

*4:農業委員会会長は行政側として議会に出ることになっているらしい。