レポート採点日誌・5日目
ゴールが見えてきた。
でも、家に帰るまでが遠足(?)である。修論を書いてたときも、期日の1週間前に書き上げていたが、「提出するまでが(ry」と言い聞かせて、特に交通事故には気をつけた。(ほんと)
以下、気づいたことをいくつか。
■文献の使い方がヘタ
多くの場合。まあまだ1年生だからしょうがないが。
註の付け方まで懇切丁寧にしゃべったのはなんだったのか。(親切すぎるからいかんのか。)
いろいろ書いてあって、最後に文献の名前が挙げてある、ということもある。しかし、どこでどういう形でその文献を参考にしたのかまったく触れられていない。明らかに、あんたこれ読んでないだろ、というレポートもある。そこのキミ、キミですよ!
だいたい、参考文献に「ミヒャエル・エンデ、『モモ』」ってなに。*1
■「脳書き」が多すぎる
誤字ではない。
「文化論」とついている授業なのに、なぜだか脳の話が多い。脳フェチなのはかまわんが、脳だけで説明するのはこの授業のレポートではやめなさい。それは仕様です。
「脳が」「脳が」というレポートを、以後「脳書き」と呼ぶ。
■「好きなものは好きだからしょーもない」が多い
ある意味何でも書けるレポートである、これは。
だが(これもちゃんと断ったはずだが)、「好きなもの」は客観視することが難しい。「いつもやってること」も同じ。対象化するためのテクニックは講義の中で話したりやってみせたりしたが、それ抜きで「好きなもの」について書いたら、ただ書いただけで終わる。
特にスポーツについて書いた人。その中でもサッカーとかプロ野球について書いてた人。キミたちのことですよ。
以後この手のレポートは「“好きしょ”レポート」と呼ぶ。*2
■「社会調査」で大ウソ
「安易にアンケートなんか取ったりするな」と申し渡したはずなのだが……。それとも安易ではないと思っているのだろうか。
調査論もやってないのに、意味のある調査などできるはずがない。家族から話を聞くとか、街中定点観察とかならまだいい*3のだが、20人にケータイでメール出して、その答えにクロスかけて、なんか意味があると思ってるのか? もちろん検定抜きである(統計学を習ってないのだから当然だが)。
はっきり言って、ムダな労力を、「調査*4」する側もされる側もはらっている。まあする側の労力はまだかまわないと言えるが、それに巻き込まれる側はめーわくなんである。*5
そんな「調査」で「こんなことがわかった!(感・動)」みたいなこと書かれても、「ウソだろ」(ちろ〜ん)としか思えない。「アンケート取ってるが見られたもんじゃない」の略で「アンみら」と命名。*6