メールをいただきました

 先日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/june_t/20060330/p2)について、数学がご専門の方からメールをいただきました。以下、ご本人の許諾を得て転載します。(一部文章を修正・省略してあります)

 アインシュタインがどんなに偉大であろうと、ネーターを「女性版アインシュタイン」などと言われると、たしかに「女にしては偉いね」と言われてるみたいで腹に据えかねますね。
 私は代数学が専門ではないのですが、それでもネーター無くして今日の代数学はあり得ないと思っています。「大学は風呂屋じゃない!」とヒルベルトが叫んだという伝説があります。「女ながら…」とか「女性版…」とかはネーターに失礼に感じられます。女性科学者たちを語る書物にそういう表現のあるのは問題ですね。
 訳し方として、「ミス・ネーター」とあれば(あるいはフロイラインやマドモワゼルでも)私なら「ネーターさん」と訳します。「嬢」には違和感あります。

余談:ポーランドの女性と話したとき(会話は日本語)、「マリー・キュリー」とか「キュリー夫人」とか呼ばずに「スクウォドーフスカ」と言ったらうれしそうでした。ポーランドの切手には「マーリャ・スクウォドーフスカ-キュリー」と書いてあったと思います。

> 女性科学者が母や妻という「女性役割」で評価されがちなこと
 これは問題ですね。私の知ってる女性数学者でも、どちらも子供を産めないと思われる年齢になって結婚していたりします。 「家事は嫌い」と言っている人もいますね。どんな家庭か家事分担をどうしてるか知りませんが。母親になってなくても学者として立派な仕事をしてます。
 若いときに結婚した別のある人は、在学中に出産。子育てしながら学位を取り、家事もかなりやってるようです。学会に「主婦としての人脈を活用して…」などと言ってました。
 人それぞれの生き方があっていいはずでしょう? 家事・育児をするかどうか、それは学問的業績とは別問題ですよね。