3.11

 いつもと同じ平凡で、特別な一日。街の様子を見に行きました。
 四号を渡って福島テルサの前を通り、県庁通りへ。

 このあたりは、若干線量が高いところです。足下はやわらかい素材を使った歩道なんですが、放射性物質をかなり吸着してしまっているのかも知れません。アスファルトよりも、はがして取り替えるコストも高いということでしょう。だいたい1.0〜1.4μSv/hぐらいの数値です。(地上1m)

■密かな爪跡

 まだ去年の「あの日」の傷跡は、街のあちこちに残っています。先日もいくつか、紹介しました。
 今日はこちら。

 重要文化財にも指定されていた竹屋旅館です。といっても、蔵造りの建物が傷んでしまったので、廃業しています。照明もついていませんでした。
 横手へ回るとこんなふうです。

 外壁がはがれ落ちているのがわかります。建物の中も、天井が落ちたりしていると聞いた記憶が。

 この角地は瀬戸物屋だったところ。県庁前通りは、かなり寂れてはいましたが、それでも「シャッター通り」とまでいわれるほどではありませんでした。今はところどころ、建物が取り壊されて、櫛の歯が抜けたようになっています。

 ここも同じ。隣にある石井薬局もだいぶ店の中がひどくやられていて、この駐車場になっているところにあったビルにしばらく間借りをしていました。今は改装した元のビルへ戻っています。そのかわり、間借りしていたビルが今度は取り壊されました。ダメージがあったのか、なんだったのか。
 道路を隔てた反対側にある「メガネのスズキ」も別な建物に移っています。(上町のライオンズマンション1階)

 逆に小揺るぎもしていないように見えるのがこれ。日本銀行福島支店です。建物中はわかりませんが、レンガ造りの建物はどっしりとしています。

■お店とか

 まずこちら。

 スペイン料理のお店「Arroz」。地震の次の日からお店をやっていたと聞きました。お昼間、外にテーブルと椅子を出して。水道が止まっていたのですが、ビルの水タンクの水がかなり残量があったので大丈夫だったとか。

 女性の店主さんがやっているラーメン屋「げんきだま」。(「チャラ、ヘッチャラー!」)従業員が関西出身で、原発事故でそちらへ避難してしまったと聞きました。しばらくは店主さん一人でやっていました。なんとか人を見つけて、営業を続けています。わたしも「学生さんでバイトに来てくれる人、いませんかねー?」と訊かれました。

■JASP

 JASP(Japan All Students Project)についてはこちらを。
 この日は追悼式が企画されていました。人通りの少ない日曜の街中でしたが、追悼式が行われている街中広場(大町)のところだけが、やや異なった雰囲気。

 島根大、作新学院大のテントもありました。

 人はけっこう集まっていました。学生だけでなく、市民の姿もかなりありました。
 わたしがこちらへ着いたのは、14時15分過ぎぐらい。

 これはテントの外から見た様子。
 中はこんな感じ。

 だいぶ黙祷の時間が近づいてきた頃です。
 JASPの中心はもちろん福島大学の学生ですが、福島大学教育学部出身の詩人・和合亮一さんが、この日のために作った詩を朗読してくれることになっており、時間の少し前にいらっしゃいました。

 和合さんが受け取ろうとしているのが、朗読する詩です。

■14時46分

 黙祷。静かな時間。あえて何も書きません。

■詩の朗読

 和合さんの詩は、震災後に知りました。『詩の礫』『詩の邂逅』など、何冊も詩集が出版されています。
 ですが、朗読を聴くのは初めて。

 最初は小声で淡々と。そしてここぞというところで、吠える。思いの外長い朗読でした。「一」という文字が強調されていました。JASPのスタッフに、「コピーをもらって、HPにアップしなよ」とすすめておいたのですが、ちゃんともらっていたようなので、そのうち公開されると思います。
 和合さんもちゃんと2部用意していらっしゃいました。(笑)

 こちらの右の男性と真ん中の女性がJASPスタッフ。福島大学2年生。(左端はわたしの友人。)
 会場では、このあとのYaeさんのステージの準備がされていました。

 また、テント内では献花が。

 写っているのは仙台から来た、JASPスタッフのご家族だそうです。
 天気も悪くなってきたので、わたしはここで失礼して、駅前へ。駅ビルなどは「休日の人出」という雰囲気。若い人、家族連れの姿が目立ちました。
 そのあと、学生さんたちといろいろ(説明が面倒なので、このあたりは省略)合流して、ご飯を一緒に食べて、家路に。結局帰宅したら、11時半でした。
 学生さんたちは、みんな元気。つらいことが、たとえあったとしても。時に涙を流しても。無事にみんなを卒業させてあげたいと思います。