読書メモ

 Kindle版で。文庫版が元になっているらしく、シリーズは全4巻(というのだろうか)の構成。(上記は文庫の紙版にリンク)
 センス・オブ・ジェンダー賞受賞作。作品の内容については、原田知恵さんの講評が参考になる。

 この作品がよかったので、コバルト文庫の次の3シリーズを次々に読んでみた。

流血女神伝

 レイモンド・フィーストに同じ題名のファンタジーがあるが、もちろん違う作品。上記は角川文庫からのリバイバル版(Kindle版)のページへリンク。
 本作では「男装の麗人」が複数登場するのだが、最初の段階では、それぞれの国に1人ずつ割り振られているようになっている。ただ、ある国では女性が剣を取ることが比較的一般的という設定があり、続編では、その国の女性たちが「戦う女性たち」として登場する。
 文庫本で20冊以上にわたる長大なシリーズであり、物語の舞台となる三カ国で、それぞれに異なったジェンダー関係やセクシュアリティが設定されていたり、主人公の「処女性」がほとんどシリーズの冒頭から欠落していたり、あっちで子どもを産み、こっちでも産み……と、YAレーベルにしてはかなり踏み込んだ内容になっている。(それでも書ききれなかったものを、「芙蓉千里」に詰め込んだともいえるか。)

■アンゲルゼ

アンゲルゼ 孵らぬ者たちの箱庭 (アンゲルゼシリーズ) (コバルト文庫)

アンゲルゼ 孵らぬ者たちの箱庭 (アンゲルゼシリーズ) (コバルト文庫)

 どこで行われているかわからない戦争。その戦争は、ひとが“人”でなくなっていくことで生まれる、“天使”との戦いだった。
 物語の舞台はとある島。ネタバレになるので詳述しないが、なんとなく「蒼穹のファフナー」を思わせる設定。

■ブラック・ベルベット(未完)

 ポスト・カタストロフィ世界を舞台に、世界を支配する軍事=宗教組織と、それに対立する少女たちの戦いを描く作品。途中でお話が停まっている(?)のが悲しい。続編は出るんでしょうか。

読書メモ

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)

 Kindle版で購入。(いちおう既刊は全部読んだ。)
 アニメは今のところとびとびで。シリーズ終了したら、まとめて観るつもり。
 ところで、金田淳子さんのツイートを中心にまとめられた、「『進撃の巨人』のジェンダー観は小学生止まり。故に心地良い。」というまとめがあります。ちょっとこれをネタにして、以下、作品について述べてみたいと思います。Twitterで連ツイしたものがもとですが、かなり手を入れています。(2013/09/01、2014/04/10 revised)*1

 『進撃の巨人』、巨人やそのほかの設定は秀逸だし、これほどまでにアニメ化して成功だった作品もないのではないだろうかと思う。特に、あのアクションシーン(立体機動の3D CGグルグル)。これだけでも観る価値はある。マニアはさらに主題歌にも食らいつくはず。(一般受けしない、ということではありません。)原作はかなり最初のほう、絵が残念なのだけど、そのあたりも当然補正されており、楽しめる作品であることは間違いない。
 さて、金田淳子さんのツイート、最初のものはこちら。

進撃はジェンダー観が小学生どまりで、基本的に男女の能力がほぼ平等、軍隊でのセクハラも強姦もなく、さらに再生産労働についての視点が非常に弱くてあいまいにされてるところが、逆に、ある種の読者にとって心地よい世界になってると思いますねー

 ここで書かれていることは、1)戦闘能力がほぼ平等である、ということだけでなく、2)セクシュアリティの面においても、(男性から女性への)セクシュアル・ハラスメントやレイプが描かれていない(存在しないのかフレームアウトされているのか)ことで、男女の関係が平等であるように描かれており、3)かつ、労働の面では、「生産労働=男性/再生産労働=女性」のようなジェンダー分業が、これはおそらくフレームアウトされており、それによってさらに平等感が増している、ということである。これが「小学生レベル」かどうかはともかくとして、短いツイートの中にいろんな要素がつめこまれていて、秀逸な評であるといえる。
 ただし、実際には平等に描き切れていない、というのがわたしとしての考え。おそらく意識せず、作者は現実のジェンダー関係を作品に反映させている。
 金田さんは「基本的に男女の能力がほぼ平等」というけど、それは最前線の兵士、それも新兵や下位の階級の兵士の、総合的な身体能力の話に限られていて、よく見ると、調査兵団等の隊長クラス、あるいは訓練所の教官などは、ほとんど登場するのは男性である。分隊長やアシスタントぐらいだと、女性(らしき人物)もいるのだが。
 宗教団体もそうだし、貴族社会もどうやら、アニメをちらっと観た限りでは、権力を握っているのは男性中心のようだ。なお、13巻のラスト近くのコマでも、王冠をかたわらのテーブルの上に置いた王らしき人物の周辺にいるのは、男性だけであった。つまり、既知社会の中枢は男性が占めているということであろう。
 なお、こういうところは『新世紀エヴァンゲリオン』も同じである。最前線のパイロットは女性が多く、作戦指揮官も女性、しかしネルフのトップ2人は男性で、その上位の組織であるゼーレも、男性だけで構成されているように描かれていた。これはGainaxでは、『トップをねらえ!』以来の伝統ともいえる。こちらの作品でも、最前線に出る兵士は男女半々らしいし、主人公もエースパイロットもライバルも女性だが、艦長や艦隊司令部はほとんど男性、作戦会議のシーンでは「紅一点」だった。末端の実戦部隊はともかく、組織のトップは男性が占める、というのは、女性管理職が少ない日本の作品だからなのか。
 この作品でも、女性キャラは、斎藤環のいう「戦闘美少女」なのだと思う。しかし、彼女たちの身体的パフォーマンスが強調される一方、作中での指揮能力やリーダーシップは男性のものとして描かれている、ということだ。(一般的な「男らしさ」から若干距離のあるアルミンの描かれ方はやや興味深いが、斎藤美奈子の『紅一点論』でいう「知将」のバリエーションのようにも感じる。)
 そのほか、モブキャラの性比とかどうなのか、と思って数えてみたりしたけど、一般市民はさすがに女性も描かれているようす。たとえば、1巻冒頭の、調査兵団の帰還を見つめるシーンなど。ただし、エレンの審問シーン(5巻)だと、同期生以外圧倒的に女性が少ない。意識してこうしているのかはわからない。

*1:なお、ここに書いたようなことを、2014/04/09の講義でもしゃべってみた。

いろいろ

宵星の魔女エミリー (新大陸魔法冒険記)

宵星の魔女エミリー (新大陸魔法冒険記)

夢みる惑星 (1) (小学館文庫)

夢みる惑星 (1) (小学館文庫)

 これすごいファンタジーコミックだった。原作は1980年頃ではなかっただろうか。

灼眼のシャナ (電撃文庫)

灼眼のシャナ (電撃文庫)

 なんか途中で飽きてしまって、10巻ぐらいで読むのやめました。すいません。

 3冊目ぐらいでやっと意味がわかってきた。なるほど……という感じ。最後までちゃんと読ませていただきます。
 本編というか、「エデン」のほうも読んでます。

 なんというか、経済の話とか政治の話とかむちゃくちゃ理屈っぽいんだけど(若干ご都合的なところがあるのはしょうがない)、エンタメにもちゃんとなっている、というところがすごい。
 ところで、主人公もしくはヒロイン役が“これ”なのは、ファンタジー・コミックではめずらしくないのだろうか。(つまり、リナ・インバースとか、アリアとか、シャナとか、ルイズとかと比べて、ですね。)

ベルセルク (1) (ヤングアニマルコミツクス)

ベルセルク (1) (ヤングアニマルコミツクス)

 33巻まで紙で買った。学生さんがレポートのネタにしたんだけど、レポートに書いてあったのとはえらく違う印象。男性同士のホモ・ソーシャル的な世界。ちゃんと主人公格2人の間に、一人女性が入っているし。しかも、この人が作中の傭兵集団ではきちんと「男装の麗人」で「紅一点」である。ここまで類型的か。
 なお途中から、主人公のパーティは女性が何人かになるのだが、一人はケア役割担当的で、もう一人は魔術師だった。

かんなぎ: 1 (REXコミックス)

かんなぎ: 1 (REXコミックス)

 なんか以前この作品の主人公が「処女じゃない(っぽい)」というので、騒動が起きていたので、今さら買ってみたのだけど……みたいな。いちおう既刊は全部。

 新シリーズをとりあえず既刊(ry

 なんでこれ買ったんだろう。Kindleで3巻まで。

 なにかの流れでたどりついたと思うのですが、流れが思い出せません。(氷の国のアマリリス (電撃文庫)からだったかもしれない。)5冊ほど。

 なんかここまで「Wizardry I」的で地味なものがラノベになるとは、思いませんでした。

 なんとなく昔のものが読みたくなって、4冊ほどKindleで。

 これも上に同じ。いちおう本編と短編集を全部。

 なんかこの人の描く人体は、身体が固いのだろうか。(気のせい?)いちおうKindleの既刊(ry

読書メモ

 有村悠さんから、「登場人物の一人が震災経験者」(阪神淡路です)とツイッターで聞いて、どんなふうにその体験が想起されているのかと思って買ってみた。いちおう、Kindleで出ている分は全部読んでいます。スピンオフのコミックもちょっとだけ。アニメは観ていません。

 なんとなく。

小野不由美『丕緒の鳥』

 十二国記最新刊の短編集。「つらくなるから気をつけて。」と同僚に言われていた。確かに厳しい内容の話もあるが、小野不由美は常にその先の希望を示してくれる。この本も同じ。
 最近どうしても、読むものに震災を重ねてしまう。今回は、特に「風信」。(風信は「風のたより」の意。)この話は慶の予王(舒覚)の末期から始まる。予王は悋気を病んで、国から女を追放する勅令を下した。主人公の蓮花も、国にいられなくなって、里を離れる。
 小さな子どもを連れて国を後にする女性たちの姿は、まるで母子避難する福島の母親たちのようだ。「『この子を抱えて逃げたんだけど』と、つい先日戻ってきたばかりの女は言った。『外は本当に大変だった』」(本書p.322)
 慶国にとどまっていては命が危うい。だからといって、外に出れば安泰かというと、そうではない。そもそも道中でさえ、傾いた国なので妖魔は出るし、その後は偽王が立って内乱も生じている。
 里を離れれば、何につけ金も必要だ。幼い子どもを抱えての旅は、何倍もの苦労だろう。隣国の雁は保護をしてくれただろうが、こちらの国内には入れない。
 暦を編纂する支僑たちの姿は、蓮花には「浮き世離れ」して見える。しかし、彼らの活動は、国が傾き、天変地異が徐々に増えつつある中で、農事を支え、民の生活を維持するためには重要なものだった。
 やがて燕が戻ってくる。「こんな時代でも、巣を作って雛を育てるのね」と蓮花が出会った母親は、涙をぬぐいながら彼女に言った。
 震災のひと月半のち、津波の被害を受けた南相馬と相馬を訪れた。遅い桜が、ちょうど花盛りであった。同行した友人は、こうもらした。「こんな時にも桜は咲くんだね。しかも、とんでもなくきれいだよね。」
 燕を見ると「なんだか泣けてしまって」という母親に、二年前の自分が重なった。あのときに見たソメイヨシノは、いつも目にしていたものとは意味が違っていた。人にとってはつらいことがあっても、変わらない自然の理。それになぜかはげまされたような気持ちになっていた。
 小野不由美が執筆にあたって震災を意識したかしないか、それは重要ではない。受け手が、自らの置かれた文脈で、物語をどう受け取るかが大事なのだ。涙し、はげまされた物語に、そっと感謝を送りたい。

Happy Birthday!

 うちの猫、レキの誕生日は、ほんとうははっきりしないのですが(捨て猫だったので)、2011年5月11日だということに、わたしの中ではなっています。震災から2ヶ月後で、覚えやすいので。
 お誕生日おめでとう、レキ。元気に育ってくれて、とてもうれしい。でも、もうちょっといたずらが減るといいな。(というか、減らせよそろそろ……。)