血液型性格判断


 血液型による性格判断を扱うテレビ番組が、今春から増えている。特定の血液型を「いい加減な性格の持ち主」「二重人格」などと決めつける内容が目立ち、NHKと民放が設立した第三者機関「放送倫理・番組向上機構BPO)」には、視聴者から「子供が血液型でいじめを受けた」「一方的な決め付けで不快」などの抗議が4月以降、50件以上寄せられた。このためBPO青少年委員会は番組内容などを検討し、「科学的根拠があるかのような体裁で問題がある」などと判断、近く民放各社に対し、番組制作にあたり慎重な対応を、と要望する。(毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041127-00000054-mai-soci

 まったくこの手の番組が多くて、こないだのゼミの飲み会でも、「お前の血液型は何型だ、言え」と学生に迫られました。あほらしいので「ビタミンC型」とか言ってたら、「あ〜、言いたくないんだ、じゃあAB型ですね」と言われました。
 つまり、「AB型の性格(とされるもの)には悪いイメージがある」ということが彼女たちの間の共通理解で、だから「AB型の人は自分の血液型を言いたがらない」という判断に結びついているわけ。ことほど左様に偏見が浸透しているということでしょう。
 人間の性格が4つに単純に分類できたら苦労しません。また、性格という心理的な要素を、血液の構成要素という生物学的な要素から判断できると考えるのには、いささか飛躍がありすぎます。それに、血液型はほとんどの場合不変ですが、性格は一生変わらないものではないのです。さらに、血液型検査の結果を間違って覚えている場合もあります。
 まあ、以下のWebページなどが参考になるかと。(運営者の五十音順)

 以下は今回わたしが感じたことのメモです。

  1. わたしがちらりと見た番組では、幼稚園児の遊びのパターンと血液型を結びつけていました。この年齢の子どもなら、まだ血液型性格判断についての知識もほとんどなく、性格付けについての知識による本人の自己定義もない(いわゆる「予言の自己実現」が生じない)から、ということなのでしょうが、周囲の大人にはその知識があります。「この子は×型だからこう」という周囲(特に親)の思いこみが、子どもの行動を左右していないとは言い切れません。*190年代の血液型性格判断リバイバルも、血液型性格判断が戦後日本で登場してきた時期にその影響を受けてきた世代の子どもが思春期を迎えた時期であることも確認できます。*2こうした世代的な累積効果も、今回の「ブーム」に関係しているかも知れません。
  2. 遺伝子等も含む生物学的な要因による「科学的説明」への欲望は、実は一般人には検証不可能なものを信じるという意味では、「神秘的なもの」への希求と背中合わせなのではないか、ということも感じます。一見「科学的な好奇心」によるものと思えても、ミスティックなものへの無批判な従属である可能性があるということですね。実は正反対のことだと。*3
  3. 差別に対する「無感覚」が蔓延しているのも気になります。わたしのゼミではジェンダーをテーマにしている関係上、ゼミ生たちはふだんから性別ステレオタイプには敏感になっているはずなのです。(事実敏感です。これは誇ってもいいと思います。)にもかかわらず、血液型性格判断が、特にAB型に対するマイナスのイメージをふりまいているということに気がつかないというのは……なんなんでしょうね。*4

*1:「男の子だから外で遊ぶのが好き」というような性別ステレオタイプと同型。

*2:上記さとうたつや氏のサイトにある年表を参照。

*3:ミスティックなものを信じるのがよくないということではなく、それを「科学的」だと勘違いすることがまずいのではってことです。

*4:なお、さとうたつや氏は「差別のメカニズムがもっとも効果的に働くのは、ある集団内の被差別集団人口が集団全体の人口の1割程度の時である。」とし、「AB型はこの『1割程度』の基準に近い。」と述べています。理由はよく覚えていないのですが、そのぐらいだと、被差別集団が目に見えないほど少ないということがなく(つまり実際に目で見て「検証可能である」ということ)、差別感を差別者同士で口にすることがはばかられるほど被差別集団が大きいということもない、ということなのではないかと思います。