小山、『家庭の生成と女性の国民化』

 第一章。

  • 本章のテーマ:明治初期における家族の問題

 実態としての変化というよりは、国家や社会における家族の位置づけの問題。

  • 1 国家の基礎単位としての家族の成立

 戸籍制度の話。

 「このように戸籍制度は、宗門改帳とは根本的に編製原理を異にした、近代国家形成の基礎をなすものとして成立したのである。しかも戸籍制度は、国民観念を生み出しただけでなく、「家」単位で編製されたことにより、「家」の観念をも国民一般に浸透させる役割を担っていった。」(p.8)
 「つまり、戸籍制度の創出は、単なる国民総人口の把握、脱籍者の取締りといった当初の目的をこえて、国民観念や「家」観念の成立、行政機構の整備や行政施策の基盤の形成をもたらし、国家の基礎単位としての家族が、ここに成立したのである。そしてこのような家族と国家との関係性の構築は、別の見方をすれば、近世社会において存在した、家族をとりまく村落共同体や親族共同体などの外的統制から、家族が自由になっていくことを示すものであった。」(pp.8-9)

  • 2 私的存在としての家族

 旧士族と農民における家族の私事化のプロセス。

※近代国家制度の成立が家族の性格を転換させた、というロジック。

  • 3 近代的な性別役割分業

 近世では家政の責任者は妻ではなく、あくまでも(男性の)家長であった。


 以下、いくじれん向け。
 子どもの教育も、それが男の子である場合は、父親の責任という部分がある。特にアトトリの場合。(身体の養育はまた別かも知れない。)
 「江戸時代には多数の子育て書が刊行されているが、それらはもっぱら男性向けに書かれ、子育ては父道の一環であるとともに、子育ての方針は家訓であった。」
 「やはり江戸時代に多数刊行された女訓書においては、母親役割はまったく言及されず、もっぱら妻や嫁としての心得が説かれるにとどまっていた。」(p.20)
 「また家事も、子どもの教育と同様、けっして女だけが携わるべきものではなかった。江戸時代の家事指南書は、衣料関係は女を主たる対象として書かれているが、それ以外の家事となると、一家の主人たる男を対象としていた。」(p.21)

 「家政が妻の専管事項ではなく、家長の管轄下にあったことは当然である。そして妻は夫から家事や育児を遂行する役割を委任され、現場で家事・育児に従事する奉公人たちを監督する権限を行使する存在だった。」(p.21)

 それなりの家の話だと思うけど。
 
 で、家政の近代へ。
 江戸時代の女訓書においては母親役割への言及はまったく見られなかったが、明治初期に開明派知識人たちによって展開された「賢母論」では、男の子を含めて子どもの教育は母親の役割であり、そのために必要な知識を女性が得られるよう女子教育の重要性が強調される。
 次代を担う国民の養成、近代国家の建設といった国家的課題と密接に結びつけられていたことも指摘できる。「すなわち、教育を受けた『賢い』母親が『優秀な』子どもを育て、その子どもがやがては『優秀な』国民となって、近代国家の形成に尽力するという論理で、賢母論は主張されたのである。」(pp.23-24)

■最初読んだ時の見落としorz

 「家計管理を含めて、家内領域での仕事の一切を『家政』という概念で表し、それを女の役割とする主張も、明治啓蒙期には登場している。」(p.24)
 高田義甫『女黌必読女訓』(明治七年)だってさ。『女大学集』(東洋文庫、1977年)に収録されてる。見てねえよ。orz